今月25日、アメリカ連邦議会にアメリカ政府からの「UFO報告書」が提出される。
その報告書では、UFOが宇宙人の乗り物である証拠もないが、しかし正体不明なのでその可能性も否定はしきれないという、ある意味予想どおりというか、今までのものと代わり映えのない内容が書かれているようだ。
(⇒ AFPニュース 2021年6月5日記事:米UFO報告書、宇宙人の「証拠なし」と結論か 正体は依然不明)
今、UFO話が改めてアツい。
かつて日本のテレビにおいて、UFO番組は目玉コンテンツの一つに数えても良かった。
しかし、2000年代になってからだろうか……
あの1999年のノストラダムスの大予言が(やっぱり)外れたのが影響したのかわからないが、
UFO番組はほとんど跡を絶った。
それが今、テレビ特番復活とまでは行かなくても「盛り返して」いるのは、むろん米海軍機の撮影した一連のUFO動画が公表されたからである。
だがしかし、それでも今回の盛り上がりには欠けているものがある。
何が欠けているかと言えば、肝心の「宇宙人」が、である。
UFOファンの皆さんなら、当然思い出せるだろう――
1950年代から80年代にかけて、実に「多種多様な宇宙人が地球を訪れていた」ことを。
あの宇宙人訪問ラッシュは、いったいどうしてしまったのだろう。
特に2000年代に入ってから、「宇宙人の訪問・遭遇」話はめっきり減った。
たぶんUFOファンの人でも、2000年代以降のそういう話はほとんど思い出せないはずである。
思い出せたとしても、かつての「宇宙人訪問ブーム」時代の事例数とは、比べものにならないほど少数しか思い出せないはずである。
いまや宇宙人と聞いて人が思いつくのは、あの「グレイ」タイプの一種類である。
しかもそれは謎や恐怖の対象と言うより、テレビのCMに出てくるようなポップカルチャーのキャラクターでしかなくなっている。
あの、かつての豊饒なる「その他宇宙人」たち――
「悪臭を放つ3メートルの宇宙人」
「ストッキングを奪った、小柄な中国人みたいな宇宙人」
「ビール缶型宇宙人」(これは「人」ではない、と思うが……)
「タバコに火を付けたら驚いて逃げた、妖精型宇宙人」
「老人に水をもらった御礼に、塩抜きのクッキーをくれた宇宙人」
「四角い水槽みたいなヘルメットをかぶった宇宙人」
「左右非対称で右腕だけが異様に盛り上がった、三人組の宇宙人」
彼らはどこへ行ってしまったのか。
彼らにとっての地球訪問ブームは、とっくに終わってしまったのか。
今回の米政府のUFO報告書が「UFOが宇宙人に関連する証拠はない」としているらしいことは、無理もない。
宇宙人とUFOとの結びつきは、1970年代あたりに比べれば、比べものにならないほど弱い。
いくら戦闘機のカメラやレーダーにUFOが映ろうと、むろんそれは宇宙人が存在する証拠にならない。
証拠になるのは、UFOと宇宙人が一緒に撮影されたときだけである。
しかし現代、まさにそういう組み合わせがほとんど報告されなくなっている。
だけれどもUFO単体の撮影は真面目な注目を集めている、という状況だ。
そう――
上記引用記事では「宇宙人説が改めて過熱するとみられる」と結んであるが、
宇宙人説が成り立つには、宇宙人遭遇話がもっと増えなければならない。
それなしで宇宙人説が優位に立つのは無理である。
しかし本当に、なぜその肝心の宇宙人遭遇話は、かくも激減しているのだろうか……