4月8日、ローマ教皇庁(バチカン市国)は、性別適合手術(性転換手術)・代理母出産・中絶・安楽死・死刑制度について否定・批判・反対する文書を公表した。
それらは「人間の尊厳を脅かす」として、非常に強い口吻らしい。
(⇒ ロイター 2024年4月9日記事:性別適合手術や代理出産「人間の尊厳脅かす」、バチカンが新文書)
これは現代日本人(の間の雰囲気)からすれば、ビックリするほど反動的な意見に見える。
それはまるで、かつての共産主義者や左派たちが、共産主義を否定する文書や著作を見たとたん「反動的」と反射反応していたかのように――
しかしまた、キリスト教カトリック教会の総本山が今この時代にこんな文書を発表したことは、少々「意外」ではないだろうか。
なにせ今に至るも欧米や西欧と言えば、何と言ってもキリスト教である。
欧米・西欧とキリスト教徒は、切っても切り離せない関係にあると今でも日本人はイメージしている。
そして、トランスジェンダーを認めるべきだ普及させるべきだ、それが人の道なんだと言っているのは、むろん欧米であり西欧である。
ところがその欧米・西欧と不可分一体、心の根底にあるはずのローマ教皇が、それとは真反対の大反対を表明したのだ。
おそらく多くの日本人は漠然と、キリスト教会は今の世の風潮に「寄り添う」だろう「合わせていく」だろう、とか思っていたはずである。
だが、そうではなかった。
これはある意味、清々しいほどの決然たる「異議申立て」である。
トランスジェンダーの尊重や代理出産の実行が「当たり前」であり「人の道」であり「道徳」なのだという「現代の常識」に、キリスト教カトリックはハッキリと対決する姿勢を見せた。
これはまさに、21世紀の宗教戦争みたいなものではないだろうか。
いや、だがしかし、これはキリスト教カトリック派だけのことなのだろうか――?
このブログでは何度も書いてきたことだが、別に私はトランスジェンダーにも代理出産にも中絶にも、同性愛にも同性婚にも反対ではない。
しかしそれらを認めるのが人類普遍の、人類普遍であるべき道徳なのだ、という風にも思わない。
もちろん、そんなこと絶対に認められないおぞましいことだという立場の人は、地球上に数多いのである。
そういうことが「人間の尊厳を脅かす」と思う人は、決して少数派ではないのである。
早い話が、日本や欧米のマスコミは、全世界の主要な宗教指導者たちに「これらのことをどう思いますか?」とインタビューしてみればどうだろう。
南米のカトリック教会やインドのヒンズー聖者、オマーンやサウジアラビアのイスラム法学者らがどんな答えを返すのか、少なくとも私は興味がある。
それを日本や欧米のマスコミがどう評するか、
そんな記事の末尾に必ずと言っていいほど配される大学教授らのコメンテーターらがどんなことを言うのかにも、とても興味がある。
そして、本当はどちらの立場が人類の主流なのであるかを知ることも、実に興味深いと思う。
少なくともカトリック教会の立場は、今回わかった。
次はプロテスタント派の立場であり、イスラム教スンナ派・シーア派の立場であり、インドのヒンズー教・チベットのボン教の立場である。
そういうインタビュー企画を、日本や欧米のマスコミはせずんばあらず……
と思うのは、はたして高望みなのだろうか。