2月1日、衆院予算委員会において岸田首相は、同性婚を法制化(公認)することについて――
「極めて慎重に検討すべき課題」であり、「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」であると答弁した。
これをメディアは、同性婚の公認に否定的な答弁だと報じている。
(⇒ 共同通信:2023年2月1日記事:同性婚「社会変わってしまう」と首相)
どこかの異性と結婚したいと強く願うのはどうしようもないことであるし、どこかの同性と結婚したいと強く願うのも、どうしようもないことである。
それにこう言っては何だが、しょせん他人のことではないか?
誰と誰が結婚しようと離婚しようと、赤の他人には全く関係ないことと言っても別におかしくはないだろう。
そして実利的なことを言えば、同性婚を認めれば、今の欧米基準からは「まともな国」と認められるということもあるのだろう。
まるで明治維新で、欧米列強に認められようとチョンマゲ・混浴・裸体往来を禁止したり廃絶したりしたときのように……
しかしさりとて、岸田首相や多くの日本国民が容易には同性婚を公認しないという立場を取るのも、それは無理もないことだ。
少なくとも私は、国や多くの国民が同性婚の公認に慎重だからと言って、強く非難しようとも「遅れている」とも思わない。
なぜなら、もう過去のブログ記事でも書いたことであるが――
同性愛・同性婚を公認すべきだという立場の人にとっては、答えるべき根本的な疑問があると思うからである。
(1) 同性婚を認めるなら、近親婚も認めるべきではないか
同性と結婚したいと願う気持ちを叶えるべきなら、母と息子・父と娘・兄弟姉妹間で結婚したいという気持ちも叶えるべきではないか。
これを「おぞましい」とか「少数過ぎる」とか言って否定することは、許されないはずである。
まさにそれこそ、同性愛・同性婚に向けられてきた非難だからだ。
また「そんな組み合わせでは子どもが障害を持って生まれてくる可能性が高い」とかいう否定については、じゃあ障害者同士の結婚も認めてはならないことになる。
そんな否定をする度胸のある人はいないと思うが、どうだろうか。
(2) 同性婚を認めない国や民族・宗教・文化について、どう思っているのか
具体的に言えば、主としてイスラム社会である。
同性愛自体を国法として禁止している国は、世界に一つや二つではない。
また、同性婚なんて冒涜だと思っている人は、世界に何億人もいる。
そういう主としてイスラム文化圏である国や人々について、同性婚を認めるべきだと強く主張する人たちは、どう思っているのだろう。
もしかして、イスラムなんて野蛮な宗教や野蛮人たちは世界のうちには入らないとか、そんな風に思っているのだろうか。
だったらそう言うべきであるし、「同性愛者の権利を抑圧する」イスラム圏に対し、公然と非難・批判をすべきではないか。
それとも、しょせん外国のことだから、宗教だからいいのだろうか。
私には、そんないい加減な話でいいのかと思えるのだが。
(3) なぜこの件については両論併記されないのか
これは課題ではなく、単なる疑問ではある。
そしてまた、同性婚に限った疑問ではないが――
およそメディアと呼ばれる報道機関であれば、何かの論題については「両論併記」が基本であるはずである。
岸田首相が「同性婚に否定的」なことについて、それを批判するコメントを載せるなら、擁護するコメントを載せるのが基本のはずである。
しかし実際には、この話題についてはいつも批判コメントしか載せられない。
報道機関が中立なんてものではなく、明らかに片方に肩入れしているという事実が透けて見える現象としか言いようがない。
私には、(3)はともかくとして(1)と(2)は、極めて難題だと思う。
同性婚は良くて近親婚はなぜダメなのか、その理由付けは無理ではないか。
だからみんな、スルーしているのではないか。
そしてまた、21世紀の世界はイスラム人口が――世界人口に占めるイスラムの割合が――大きく増えるとも言われている。
対する日本や西欧諸国の人口比は、反比例的に下落する。
そうなったとき世界の潮流は、「同性愛も同性婚も絶対に認めない」ことになるのではないか。
いや、たとえそうならなくても――
「そんなもんを認める国や国民は堕落した背教者」として、テロの標的になることが正当化される可能性は大いにある。
イスラム化した国際社会から、まともな国と認められなくなる可能性だってある。
そうなったら今度は日本は、世界の潮流に合わせるためにまた同性婚を否定することになるのではないか。
はたして同性婚推進論者で、(1)と(2)の疑問に答える人――いや、触れること自体をする人は、現れるだろうか。
そんな度胸のある人はいない、と私は予測しているのだが。