1月22日、インド北部の古都アヨディヤで、新しいヒンドゥー教寺院(ラム寺院)の建立式典が行われた。
それにはインド首相のモディ氏も出席し(というか主催者のようなもの)、実に盛大だったようである――もっとも建物は完成しているわけではなく、まだ建築中らしいが。
ところがこの寺院、元々は過去500年にわたりモスク(イスラム教の礼拝所)があり、それを1992年にヒンドゥー教過激派が破壊した跡地に作られているとのこと。
モディ首相の属するインド人民党という政権与党が「ヒンドゥー至上主義」でありイスラム教を排撃する立場をとっている、というのは日本でも何となく知られているだろうが、それにしても今回の「世界のヒンドゥー教徒の総本山」建立は、まさに正面から「イスラム教に喧嘩を売る」スタンスとしか言いようがない。
(⇒ ニューズウィーク日本版 2024年1月23日記事;ヒンドゥー教寺院でモディが始める宗教戦争)
さて、いま世界で最も活発な宗教は何かと問われれば、誰もがイスラム教と答えるだろう。
それにはたぶん本流イスラム教と言うよりは「イスラム過激派」「イスラム原理主義者」のイメージが大きく影響しているはずだが――
もし中立的に言うならば、イスラム教こそ世界で最も「イキのいい」「活力ある」宗教だということにまず間違いはないだろう。
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しかもよく知られるようにイスラム教圏の国々の出生率は非常に高く、このまま行けばいずれ地球人口の過半を占めるのもまず間違いない。
そして、もし多数決制民主主義が世界を覆い、かつ、もしも世界統一政府なんてものが実現する未来が来るならば――
当然それは、イスラム教徒が「天下を取る」ことを意味する。
そう、地球規模の民主主義と統一政府がもし実現するならば、地球は「イスラムの惑星」となる。
いや、それこそが民主主義の到達点・完成形と言うべきか。
しかしそれって、西欧流民主主義によって西欧流民主主義が廃絶されるという(西欧流民主主義にとって)皮肉なバッドエンドということじゃないのか、と思わない人がいるだろうか。
ところがここに、まるで流星のようにインドという「未来の超大国」が、イスラム教にストップをかけに来た様相を呈している。
これはイスラム勢力の拡大・伸長に脅威感を抱く全ての国の人々にとって、まるで福音かヒーロー登場のようなものだ。
しかも都合のいいことに――と言っておく――ヒンドゥー至上主義が過激とか何とか言ったって、ヒンドゥー教って「どうせ」インドのローカル宗教である。
それがインドの外に浸透拡大し、今のイスラム移民のような「脅威」を他国に与えるとは、今の段階では考え難い。
そしてさらに都合の良いことに、ここまでインドがヒンドゥー至上主義でイスラム排撃の立場を鮮明にするならば、名にし負うイスラム過激派の攻撃目標もとことんインドに集中することが「期待」される。
いや、そうならなければ、いったいイスラム過激派は何をしてるんだということにもなる。
つまり未来の超大国インドは、特に欧米諸国にとって、実に都合の良いイスラムに対する防波堤であり避雷針とは言えまいか。
たぶん欧米の人は、いやこれを読んでいる日本人のあなたにしても、きっとそう思っているのではなかろうか。
しかも日本人にとっては、インドは「脅威の超大国」中国への対抗馬ともなるのだから、もう言うことなしである。
惜しむらくは、あの悪名高きカースト制度さえなければ「盟友」台湾よりも支持・応援できるくらいなのに……
と残念に思っている日本人は、百万人単位でいそうである。
もっともインドと日本の相性がいいというのは、それは本当かもしれない。
インドのカースト制度・カースト意識と日本の「上下関係至上主義」「人には上下があるべき主義」には、確かに共通性がありそうだ。
少なくとも名称はインド直輸入の「スクールカースト制度」というものさえ、日本ではすっかり根付いている。
だが、はたしてインドは日本にとって真に防波堤であり避雷針であり盟友なのか、さらには本当に無害なのか、そこは慎重に考える必要があると思われる。
なにせインドは仏教の発祥地でありながらそれはほとんど滅亡し、対する日本は今でも一応は仏教国である。
インドが日本のマブダチだ、マブダチになれる、ヒンドゥー至上主義は日本にとって全然無害であるというのは、実はトンデモない間違いかもしれないではないか……