大復活したタリバンはアフガニスタンを制圧し、アメリカは予定どおりアフガンから撤退した。
そしてタリバン(の、少なくとも所属兵士)は――
コメディアン兼警察官(という組み合わせがアフガンではあったのである。日本でもいないのに)のナザール・モハメッド氏を殺害して木に吊した他、
民族音楽の人気歌手ファワード・アンダラビ氏も銃殺したという。
なんでもタリバンの報道官は8月25日付けのニューヨーク・タイムズのインタビューの中で、「音楽はイスラム教では禁じられている」と言ったらしい。
(⇒ ビジネスインサイダー 2021年8月31日記事:タリバン、人気歌手を殺害…「イスラムでは音楽は禁止」と述べた数日後に)
私はイスラム教に詳しいわけではないが、イスラム教が音楽を禁じているとは初耳である。
これって本当はどうなのか、世界のイスラム界のウラマー(学者)やファトワー(宗教令)の見解を、ぜひ聞いてみたいところだ。
というか、聞いて然るべきだし、発信して然るべきではあるまいか。
そしてタリバンの作るアフガン新国家には、当然「国歌」も「軍楽隊」もないことになる。
タリバンのトップなり外交官を国賓として迎えるときは、もちろん音楽禁止だろう。
世界にイスラム国家は多くあるが、そのみんなにそういう対応をしているとは思えないのだが……
タリバンは「イスラム過激派」の一種だとされているが、もうここまで来たら「イスラム教タリバン派」と言った方がいいような気がする。
要するに、現代イスラム教の異端の一派と見た方がしっくりくるのではなかろうか。
音楽はイスラム教で禁じられている、と解するのがその特徴の一つ――
と、後世の歴史事典には書かれる気がする。
それはともかく思うのだが……
イスラム教タリバン派のこういう見解や歌手殺害の行動について、
世界の歌手や音楽家、特にセレブアーティストと呼ばれるような一流どころは、どういう見解を持っているのだろう。
例のブラック・ライブズ・マター(BLM。「黒人の命も大事」)運動についてなどは、世界中のセレブアーティストの多くがツイッターやインスタグラムで熱い支持を表明したものである。
そういうことやそれに準じる意見表明が、数多く報道されたものである。
それなら今回のタリバン派のしたこと・言ったことについては、それ以上の熱い意見表明が彼ら彼女らからあるのが当然だと思われる。
しかし「もちろん例によって」、そんなことは全然ない。
一つの国で音楽が禁止されても、歌手(それも土着の民族音楽の歌手)が殺されても、セレブアーティストの皆さんには表明すべき意見はないらしい。
もちろん私は、意地悪でこういうことを言っている。
私も皆さんも、わかっているのである――
「白人とキリスト教の悪口・批判は公然と言っていいが、
イスラム教の悪口・批判を言うのはタブー」
だということを。
日本でも「キリスト教悪口本」はとてもたくさんの種類が店頭に置かれているが、「イスラム教悪口本」は一切ない。
そんなことを発言する人もテレビにはいない。
ついウッカリ失言した、出版した、ということも絶無なので、この「イスラム教を公然と批判してはならない」というのは、よほど大胆な言論人でさえ骨の髄まで染みついているタブーに違いない。
そしてこれは日本に限らず、欧米も含む世界的タブーだということが容易に見て取れる。
だが、そうだとしても――
音楽が禁止されても歌手が殺されても、相手がイスラム教(の一派)となると、世界中のセレブアーティストらが(他のことには饒舌に投稿するのに)とたんに意見をSNSで発信しなくなる現象というのは、ある意味痛快である。
日本でも「芸能人が政治的意見を述べてもいいじゃないか」という論は、ほぼ世間に支持されていると思われるのだが……
芸能人なかんずく歌手の皆さんは、タリバン派について何の意見もないのだろうか。
そりゃもちろん、何について意見を言うかはその人の自由ではあるが、
「音楽は禁止だから歌手を殺す」
ということについて意見がないとか、あっても表明する気がないというのなら、
他の何について意見を言うことがあるのか、と感じるのは万人の意見ではあるまいか。