この8月にアフガニスタンを奪回した形となったタリバンは、着々と――と言うより、光の速さで女性の権利を制限し始めた。
「女性省」は当然ながら廃止され、代わって「勧善懲悪省」ができた。
この勧善懲悪省というのはイスラム圏の国によく見られ、ロシアにとっての「非常事態省」と同じくらいイスラム圏を象徴する省庁だ。
そしてタリバンの教育省は9月17日、中等教育の学校について男子生徒と男性教員だけに登校再開を指示。
女子教員・女子生徒は除外された。
さて、こういう流れについて、世界の国々は事実上ダンマリである。
いや、世界の国々どころか――
日頃ちょっとでもどこかで人権侵害と見るやすぐツイートして、共感や称賛を集める世界的スターや著名人もまた、なぜかタリバンを激烈非難することはない。
そういう批判の声があるのはただ、無名の庶民が書き込むネットのコメント欄くらいである。
しかしそこでも、こんなアフガンの女性たちを解放するため再度戦争すべきだという意見は全くない。
とどのつまり世界の国も人民も、タリバン・アフガンをスルーしている。
女性が教育を受ける権利を奪うなんてとんでもない人権侵害に当たるはずで、
人権が大事だと言う人・思う人なら青筋立てて机を叩いて怒るべきところなのだが、
そうはせずスルーなのである。
なぜ、そうなるのか。
相手が欧米や日本なら許せないが、イスラム(の一派)だったら「しょうがない」「気が引ける」「気後れする」からだろうか。
あるいは、結局のところアフガン国民がタリバン支配を受け入れた(または応援した)ということだから、それはアフガン人の選んだ道だから、やむをえないということなのか。
しかしそれだったら、イスラム圏の少なくない国で慣例となっている「女子からのクリトリス切除(割礼)」もまた、そんな野蛮なことは止めろと言うことはできないはずである。
いやそれどころか、この日本にあるとされる「男尊女卑」文化でさえ、それが多くの国民に受け入れられているのだとすれば、もうそれでいいのではないか。
まさかいくら何でも、欧米や日本で行われる女性の権利侵害は許されないが、イスラムだったら許される。
イスラムだったらしょうがない――
そんなことを公言する人はいないはずだが、
しかし実際はそういう状態になっているのを、皆さんはどう思われるだろうか。
もしどこかの国の国民が、女性の権利の侵害や制限を受け入れ・支持しているのなら、それは許される。黙認される。スルーされる。
それが正しいとするならば――そうするしかないというのなら――、人権擁護の掛け声はもう用済みである。
いやホント、今のアフガンとアフガンを取り巻く現状を見て――
世界の人権教育に携わる人は、子どもたちにどうやって人権は普遍だと教えることができるのだろうか。
その国の国民が支持するなら、事実上そう解釈するしかないとすれば、人権抑圧はスルーされる。
つまり人権とはあくまで「私たちのルール」であって、世界にはそういうルールに従わない国や文化があることを容認するということになる。
これは、人権は尊いと言っている人にとっての「人権」の定義を完全に否定するものだとしか思えないのだが――
どうもそれが、今の世界の態度なのである。