プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

未婚若者3割が結婚する気なし回答-結婚者が少数派になる日

 8月31日、こども家庭庁の実施した「15歳から39歳の若者10万人」を対象とした初の大規模アンケート調査野結果が報道された。

 それによると、未婚者4万3,529人に「将来結婚したいか」と質問したころ、

 「結婚するつもりはない」が35.1%、「いずれは結婚したい」が37.5%、「2~3年以内に結婚したい」が10.3%だったとのこと。

 実に若者の3分の1は、結婚しようと思っていないらしい。

(⇒ 読売新聞オンライン 2026年8月31日記事:未婚の若者3割が「将来結婚するつもりはない」、結婚より「余暇・趣味を楽しむ」優先…初の10万人調査)


 さて、まずこの調査で何より注目されるのは、39歳までが若者枠に入っているということである。

 いやはや、18歳も20歳も成人とは言えず、実際には30歳でようやく成人と言える成熟状態になる……

 とは現代になってからさんざん言われてきたことではあるが、国の省庁の正式調査で39歳までが若者とカテゴライズされてしまったのだから、

 これこそまさに、一昔前の週刊誌が若者の性の乱れを報道する際などの「ついにここまで来た!」という言い方をすべきところなのかもしれない。

 39歳が若者枠であるなんて、それこそ昭和世代には失笑ものの現実であるだろう。

 だが、そんなことはともかくとして――

 この「若者――繰り返すが39歳までである――の3人に1人は結婚しようと思っていない」というのは、概ね世間の人たちの肌感覚に合致しているのではあるまいか。

 いや、実態から見ると、むしろ少ないくらいではあるまいか。

 これは以前の記事の繰り返しになるが、

 「仕事から帰ってきて、今度は家の仕事をする」

 なんてことを進んで受け入れようとする人って、少数派に決まってるのは容易にわかる。

 (⇒ 2025年6月6日記事:日本の出生率・出生数、過去最低に-あなたは仕事から帰ってまだ家の仕事をしたいか?)


 現役労働世代はもちろんのこと、15歳という将来労働世代であっても、「そんな目に遭いたい」と思う人はハッキリ言って異常である。

 その異常な人たちがまだ65%もいるらしいことの方が、却って異常とさえ言える。

 しかしその異常な状態も、これから年々正常化に近づいていくだろう。
 
 すなわち「結婚するつもりはない」の割合はさらに上がり、半分くらいに到達するのが予想できる。

 いまや結婚も恋愛も多くの人にとって希望どころか負担であり、「めんどくさいもの」「リスク高いもの」とのイメージが広まっているのは疑えない。

 それはまるで課金ガチャのゲームのごとく、不確かなものにカネと時間と心身の労力を費やす「むなしさ」を象徴するものになっていると言っても過言ではない。

 (そう、課金ガチャ系のゲームもまた、衰退の道を辿っていくと私は思う。)


 たぶんこの種のアンケートが継続されるとするならば、「結婚する気がない」が50%に到達するのはそんなに遠くないだろう。

 むろん「近いうち/いつか結婚したい」と答えた人が全員結婚できるはずがないのだから、現実に結婚する人が少数派に転化するのはほとんど確実なような気がする。

 少なくとも日本においては、結婚しないということは生殖しないということにほぼ等しいので――

 ついに人類社会の(ほんの一時代の小さな集団においてではなく)大きな一部は、その成員の半分超が生殖しないという空前の状態を迎えることになる。

 これは人類史における画期であって、記念碑的な出来事だ。

 なんだかこう、いったいこれから日本はどう変貌していくのか、逆にワクワクしてくるくらいである。

(こう感じる人は、意外に多いような気がする……)


 はたしてこの非婚化日本、人口急減急落社会は、どうなっていくのだろうか。

 底を打つのはいつなのか、リバウンドするときが来るのか――

 私は永遠に生きたいとは思わないが、100年後の世界というのは確かに見てみたいと思う。

 人口の半分が生殖しない社会とはどういう定常状態を迎えるのか、これに興味を持つ人は非常に多いはずなのである……

 

 

ロシアとウクライナ、アメリカ仲介で和平へ? 超大国はまた負けるのか

 8月30日、東洋経済オンラインが特報として伝えたところによると――

 アメリカCIA長官がロシアを訪問し、プーチン大統領の側近に対しウクライナへの侵攻中止と和平交渉開始を求めたらしい。

 折しもウクライナのゼレンスキー大統領は8月28日、ロシアへの長距離攻撃として無人機(ドローン)を1日1000機投入せよと軍に命じた、と演説した。(現在は1日300機)

 もしCIA長官の和平勧告が事実なら、まさにウクライナ戦争は重大局面を迎えたことになる。

(⇒ 東洋経済オンライン 2026年8月31日記事:【特報】「ロシアは勝てない」…CIA長官がモスクワ電撃訪問でプーチンに突きつけた〈侵攻停止〉と〈和平交渉開始〉

(⇒ 読売新聞オンライン 2026年8月29日記事:ゼレンスキー氏、長距離攻撃で「無人機を毎日1000機投入」指示…「侵略続ける代償」負わせる狙い)


 それにしてもアメリカ(のトランプ大統領)の態度のコロコロ転換ぶりには、目覚ましいものがある。

 あろうことか今の今までアメリカは、むしろ「ロシア寄り」と見られていた。

 その理由は「なんだかんだ言っても最後はロシアが勝つだろう、押し切るだろう」という展望にあったらしい。

 それがロシアに侵攻を中止せよ、さもなくばアメリカは本格的にウクライナへの軍事支援を行う、と通告するように態度が変わったのだから、これはやはりアメリカも戦局がウクライナ優位に変わっていることを認めたということになるのだろう。

 そしてこれは詰まるところ、「アメリカは読みを外した」ということになる。

 どうもアメリカは、外国の要人の居場所や軍の動きを把握することには他の追随を許さないが、それでも「戦争の成り行き」といったいわゆる大戦略に属する領域を正しく予想することはできないようである。

 いや、アメリカがそれが苦手だと言うのではなく、アメリカですらそんなことはできない――

 ましてや日本にそんなことができるわけがない、と言い換えた方がいいのだろう。

 そしてどうも、ウクライナ側のドローン攻勢・ドローン優位の状況に鑑みると、もし和平が成るとしたら、それはロシアにとって極めて受け入れがたい条件になりそうな気がする。
 
 具体的に言えば。全占領地からの撤退であり戦前国境への回帰である。

 とはいえそんなこと、とてもプーチンが受け入れるとは思われない。

 それは完全にロシア敗戦と同義であり、プーチンの威信もメンツも丸潰れ……

 もしプーチンが苦悩とショックで急死しないとすれば、信望を失った彼は暗殺やクーデターで失脚してもおかしくない。

 そりゃロシアのためを思えば――ウクライナや西側諸国との関係を回復しようとすれば――、全てはプーチンのやったこと、それを打倒した我らなんだから新生ロシアは悪くない、だから仲良くできるだろ、と考える人が多く出るのは全く当然のことである。

 そうなるとアメリカの仲介がうまくいくはずはないと思えるが、もしかしたらアメリカも落とし所として、クリミア半島の全部または一部くらいはロシアに譲れと言うかもしれない。

 なにせフラフラと態度を変えるトランプ政権のこと、それくらいのことはアッサリ言うだろう。


 ともあれこの戦争、少なくともロシアが「最後は勝つ」ということはなさそうである。

 それどころか攻められた方のウクライナが、実践で鍛えられた世界最強のドローン軍団を擁する軍事大国としてサンライズする戦後像まで現実的になってきた。

 そして個人的に思うのが、「またも負けたか超大国」という感想である。

 超大国アメリカは、ベトナムの北半分に負けた。

 超大国ソ連は、荒涼たるアフガニスタンに攻め込んで負けた。

 つい最近にはアメリカは、初戦で敵の最高指導者を爆殺するという大勝利を挙げながら、いまだイランを健在のまま処置できない。

 さらにこれに、軍事的にはまだ超大国と言って良かった現代ロシアの「敗戦」までが加わるのだろうか。

 このベトナム戦争から始まる「超大国連敗史」というのは、21世紀後半以降の歴史家にとって、本当に興味深い現象であるはずである。

 いったい彼らは、なぜ負けるのか。

 なぜアメリカはパナマやベネズエラ程度(失礼な言い方だが、軍事力的にはそうなる)の小国には当然勝てても、中程度の国が相手だと負けるのか。

 ソ連とその後継であるロシアも、どうしてはるか格下のはずのウクライナに勝てないのか。

 これは日本にとっても超重要な疑問であって、たとえば

 「アメリカは北朝鮮にも勝てないのではないか」

 「ましてや中国には勝てないのではないか、だから日本が攻められても戦いもしないのではないか」

 という重大な懸念を抱かせるものだ。
 
 つくづく、なぜ現代の超大国は中規模国に勝てないのか――

 その答えが、切に求められていると思うのである。

 

 

法務省・厚生労働省×コンテンツものコラボ連続中止-官に一利ない構図

 8月21日、法務省はNEtflixのリアリティ番組「『ラヴ上等』シーズン2」とのタイアップを中止すると発表した。

 その報道も消えぬ中、今度は8月24日、厚生労働省は川口春奈主演映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』とのコラボ中止を発表した。

(⇒ 中日スポーツ 2026年8月25日記事:「税金のムダ」中央省庁のエンタメ作品コラボ中止が相次ぐ「バカにしてます?」と物議『GTO』『ラヴ上等』『ママせか』)

 さて、私はもちろん、「どうして官公庁がその作品とタイアップ・コラボすることになったか」の内幕について知る立場ではない。

 しかし全部が全部ではないにしても、おおよそ予想することならできる。

 おそらくそれは、官公庁側からの働きかけによるものではない。

 官公庁の担当者や担当部局が常に「ウチとコラボできそうな作品はないか」とアンテナを張り、これと当たりを付けたら然るべき立場の人がその作品の供給元へ挨拶に行き、「ぜひウチとのコラボを」とお願いするという構図はあまり想像できないからだ。

 即ちこういうコラボは多くの場合、作品供給元の「売り込み営業」に始まるのではなかろうか。

 もちろん一担当者が官公庁に飛び込み営業するのではなく、上の立場のエラい人が官公庁のエラい人(あるいは政治家)に面会を求め、「ウチにはこういう打って付けの作品があるんで、ぜひ御庁に御協力しましょう」などと「申し出る」のである。

 そこで「いいですねぇ、ありがたいですよ」などと話が決まり、それが官公庁の下の人たちに降りて来るという寸法だ。

 ではなぜ作品供給元は自らコラボを申し出るのかと言えば、やはり官公庁とりわけ国の省庁の施策とコラボすれば、大いなる宣伝効果が期待できるからである。

 コラボしたという報道自体が無料宣伝であるし、この時代においてもなお「国のお墨付き」は有用である(ようだ)し、

 さらには全国の公共施設や病院に無料で――むろん官の負担で――ポスターを貼ってもらえるからだ。

 
 ではここで翻って、官の方には何かメリットがあるのだろうか。

 これは断言してもいいと思うが、官公庁の下の人、つまり担当者レベルにおいては、別に人気(とされる)メディアコンテンツと絡みたいという気持ちはそんなに強くないはずである。

 そんなことしたって給与が上がるわけでなし、むしろそういうのでない「地味なポスター」を作る方が、より面倒がなさそうではないか?

 いや、もっと根本的なことを言うならば――

 もし『ラヴ上等』や『ママがもうこの世界にいなくても』のポスターに大いに注目が集まったとして、それが何になるというのだろう。

 なるほど「地味なポスター」では、壁に張られていても誰も見ずに通り過ぎるだけかもしれない。

 人気エンタメコンテンツのポスターであれば、注目する人が増えるのかもしれない。

 だが、それでどうだというのか。

 それが犯罪者の更生やガン患者支援の雰囲気・機運を盛り上げる効果があるなんて、あなたは本当に想像できるだろうか。

 そのポスターに、コラボ作品の宣伝効果があるというのはわかる。

 しかし、それが官公庁の展開する施策の認知向上とかに役立つ・効果があるなどと考えるのは、コジツケか誇大妄想・過大評価の類いに属すると私は思う。

 普通に考えて、ラブ上等コラボポスターを見て犯罪者の更生というイシューに賛同するよう心が動く人なんてのは、まるで皆無だろうと誰もが思うはずなのだ。

 そしておそらく法務省なり厚生労働省なりの担当者たちは、今回だって「これはまずいんじゃないか」「世間に反発を食らうんじゃないか」とは必ず思ったはずである。

 そして案の定、反発を食らいコラボ撤回に追い込まれた時、猛批判を浴びるのは当の官公庁「だけ」であるという仕儀になる。

 「何を考えてるんだ」と言われるのは事実上官公庁の側だけであり、(そりゃコラボ中止は営業ダメージにはなるかもしれないが)ネットフリックスや映画製作委員会の方ではないのである。

 つまりこうしたコラボというのは、官公庁にとって――特に実務者レベルにとって――「リスクだけ高くて得るものはない」、「百害あって一利なし」の典型例ということになる。

 失敗したときバカを見るのは官の側であり、「成功」したとて、その成功なんてものは目に見えるものでもなく、どうなったら成功なのかも測る術がない。

 それともメディアで「今回のコラボは話題を呼んでいる」などと報道されれば、それが成功と見なされるのだろうか。


 思うに、官公庁のポスターなんて地味で結構、「地味上等」なのである。

 しかも官公庁の中でも「人気作品とのコラボ」なんてしてない官公庁はたくさんあり、たとえば火災予防週間とかナントカ安全週間とかのポスターは、せいぜい女優・女性を(そう、それが男性であることはほぼ全くないが……)一人だけ載せているくらいであって、それで何の支障もない。

 批判を集めることもなく、炎上などしはしない。

 およそ担当者たるもの、それが最善なのは言うまでもない。

 なのになぜ明らかに「これはまずいのでは」と思われるコラボが実現するのかと言えば、それは「何らかの理由で作品供給元の売り込みを断れないから」の他に、

 まるでアテンションエコノミーのごとく「攻める姿勢を見せること」「とにかく目立つこと」を善とする価値観が、官公庁とりわけその上層部の中にも広がっているからではないかと思う。

 それはつまり、「官は民を見習え」という(いわば絶対善の)大潮流の一環だと考えられる。

 しかし繰り返しになるが、この手のポスターで注目を集めたからって、それが何になるのであろうか……