パリ五輪代表、日本女子体操チームを務める宮田笙子(19歳・順天堂大学)選手の「喫煙・飲酒」が発覚したことで、同選手はオリンピック出場を辞退。
開幕1週間前なのでその補充繰上げもできず、日本女子チームは本来5人のところ4人だけで臨むこととなった。
この「処分」――形式上はあくまで本人が「辞退」したのだが――については、「たかが喫煙で五輪出場不可は行き過ぎ」論と、「日本の法律も日本体操協会の規定も守れないのだから処分は当然」論の賛否両論が(たぶん)拮抗しているようだ。
(⇒ THE DIGEST 2024年7月21日記事:「喫煙のために見送るの?」パリ五輪辞退の宮田笙子に五輪ジャーナリストが”違和感”。米メディアは痛烈イラスト「NO SMOKING」で報道も)
私の意見を言うとすれば、今回の「五輪辞退」は当然のことである。
宮田笙子選手にはそれしかなかった、と言っても過言ではない。
なぜなら、彼女の喫煙飲酒の件がなぜ発覚したかと言えば、それは内部告発だったからだ。
内部告発とはもちろん、悪い言い方をすれば「密告」であり「チクリ」であり、要するに彼女は「身近な仲間」に刺されたのだ。
これが当人にとって凄まじい心理的ショックになることを、想像できない人はいないだろう。
いったいこんなことがあって、オリンピックになど出ていられようか。体操なんてやっていられようか。
これでもし五輪「強行出場」していたとすれば、鋼のメンタルどころかダイヤモンド級メンタルである。
それはもう、人間業ではないと言っても大袈裟とは思われない。
何と言っても、自分の「仲間」と思っていた人たちの中に、こうやって自分を刺すほど敵意を向けていた者がいることを知ってしまったのだ。
喫煙飲酒が(本人の言うように)1回きりであろうとなかろうと、こんな密告をされた時点で彼女の五輪は精神的に終わっただろう。
ところでこれは、宮田笙子選手以外の人間にとって、決して他人事ではない。
なんとなれば世の中には、職場や学校で「本当はやってはいけないことをやっているのが周りにはよく知られている」にも関わらず、ただ「今は、自分へさほど敵意を向けている人物がいない」からこそ安穏に日々を過ごしている人間が、何万人もいるだろうからである。
もし仮に宮田笙子選手が、仲間内で「公然と」飲酒・喫煙をしていたとしても、「人間関係さえ良ければ」密告されはしなかっただろう。
そして宮田笙子選手ならずとも、ほとんど誰だって――
自分がそんなにも誰かから敵意を向けられているかもしれない、などとはなかなか考えない・思わない・思いたくないのだ。
今回の告発者は、もし自分の告発が握り潰されないとすれば、宮田笙子選手が五輪出場中止になることはもちろん、日本女子体操チームがとんでもない苦境に陥ることくらいは当然わかっていたはずである。
言うまでもなくそれはオオゴトなのだが、それでも宮田笙子選手を許せなかったと見える。
繰り返すが、いったい誰がこの自分がそこまで「許されざる者」と誰かに思われている、なんて思うだろうか。
私はやはり、五輪出場中止なんかより、「自分が身近な人にここまで思われていた」ということの方が、宮田選手にとってはるかに甚大な心理的ダメージだと思う。
これは、スポーツ選手としてというより、人間として立ち直ることができるのかどうか心配なレベルだと思う。
そして世の中には、「宮田選手予備軍」とでも言うべき人たちが、何万人もいるはずなのだ――