8月17日にマクドナルドが公開したマックフライポテトのプロモ動画が、「気持ち悪い」とか不評を浴びているらしい。
それはAIクリエーターが作成した動画なのだが、そこへ出てくる美少女たちが「人間もどき」みたいで不気味に見えるとか、そういうことらしい。
(⇒ 東洋経済オンライン 2024年8月20日記事:マクドナルド「AI広告の炎上」が示す嫌悪感の正体)
私は感性が鈍感なのか、このようなAI生成画像・動画の女性や少女たちを見て、不気味だとか嫌悪感を抱くことはない。
しかしそのようなものを見て、一つ思うことはある。
それは「結局ルッキズムは勝利する、これからも勝利し続ける」という思いである。
論より証拠、とにかくAI生成の画像や写真を片っ端から見てみればよい。
そこに女性が映っていれば、彼女は必ずや美女か美少女である。これに例外はない。
そう、どんなAI(AIクリエーター)と言えども、女性と来れば絶対に美女か美少女しか生成しない。
これは当たり前であって、誰も「美女美少女じゃない女性」をわざわざ生成しようとはしない。
そんな女性は需要がない、というだけでなく……
そもそも供給する側が――カネのことは抜きにして――美女美少女しか生成しよう・生成したいとは思わないのだ。
別にAI画像だけでなく、アニメやゲームの中の女性には美女美少女しかいない、と言って過言ではない。
実写となるといささか例外はあるにしても、それでも圧倒的多数は美女美少女である。
少なくとも供給側は、美女美少女と思われる者をそこに配置しようとしている。
その結果、現代日本は美女美少女で埋め尽くされる社会となった。どこを見ても美女美少女がいる世界となった。
これが、ルッキズムの勝利でなくて何だろう。
そしてあなたはこの趨勢が、将来違う方向に行くと思うだろうか。
もちろん思わないに違いなく、従って将来もまたルッキズムが勝利し続けるのは確実である。
特にアニメやゲームの世界、そしてAI生成画像の世界では、今すでに(いや、昔から)美女美少女じゃない女性など存在することさえ許されないのだ。
そしてまた今回のパリ五輪でも目立ったのは、いわゆる「美女アスリート」についての記事の数々だろう。
そういうことは言ってはいけない、ルッキズムは悪いことであり問題であることだ――
という雰囲気が世間では高まっているはずなのに、そんなことはどこ吹く風。
まさに美女賛美のルッキズム記事は、萎縮することもなく数多く花開いていた。
また実際にその美女アスリートたちの中では、セミヌード写真を公開したら収入が3倍にもなったとかフォロワーが激増したとかいう、身も蓋もない成功例(笑)も報じられている。
ここでもやはり、ルッキズムは明らかに勝利しているのだ。
(⇒ 中央日報 2024年8月20日記事:セミヌード投稿したら全盛期収入の3倍…五輪スターたちの資金難解決策)
当然ながら、この現実社会には、美女美少女じゃない女性が無数にいる。
ちょっと街を歩きさえすれば、美女美少女しかいない広告画像を圧する数の、そういうタイプの女性たちをいくらでも目にすることができるだろう。
そういう現実がありながら、また一方の現実では、ルッキズムの勝利は盤石である。
AIもその他の創作物も女性と来れば美女美少女しか生成せず、そうじゃない女性を生成することはない。
仮に、断固としてルッキズムを批判するAIクリエーターなり創作者がいるとして――
その人が美女美少女じゃない女性を生成するなんて、あなたは考えられるだろうか。
そういう人でさえ美女美少女「しか」生み出そうとしないというのは、むしろ人間の自然な感情――業(ごう)と言うべきか――だと思うのではないか。
おそらく人間はその本心・真情において、万人がルッキズムの支持者である。
その支持率は100%と言っても過言ではないだろう。
これはむろん「女性は美女美少女じゃなければ価値がない」という考えに直結するのではあるが――
しかしそれが全人類の「変えようのない本心」なのだということは、今の世界を見れば確実に推測できるというものではあるまいか。