最近、あの絶海の孤島・イースター島について「定説」を覆す内容の新説が続いて発表されている。
一つは、定説では盛期に「1万5千人~数万人」とされていた人口が、実際は元から4000人ほどしかいなかったのではないかとの説。
もう一つは、定説では(モアイづくりに狂奔したなどが原因で)島の環境破壊が進んで戦乱となり「文明崩壊」が起きて人口激減したとされていたが、しかしそんな現象は起きていなかったとの説。
(⇒ 時事通信 2024年6月26日記事:イースター島の人口、最大4000人 米学者が「数万人説」に異論)
(⇒ 時事通信 2024年9月14日記事:文明崩壊なかった? モアイ像の最後巡り新研究―イースター島)
(⇒ 朝日新聞 2024年9月14日記事:モアイ像のイースター島、DNA分析で通説覆す 文明崩壊なかった?)
さて、私も子ども時代は「定説」に沿った学習漫画とかを呼んでいたクチである。
別に私だけでなく、「絶海の孤島の巨石文化」に関心を惹かれない男子がいるだろうか。
ましてやその巨石とは、世界中知らぬ者もないほど有名・独特なモアイ像だ。
それはたぶん「日本のニンジャ」と同じくらい、太平洋諸島全域を代表する文化遺産と言っても大袈裟ではないだろう。
それはさておき私も子ども時代から何となく、このイースター島を巡る通説の「胡散臭さ」は感じていたのである。
まず、「あれだけ大量のモアイ像を作成するには、必要な労働力からして数万人の人口が必要」という点については――
私は先ほど巨石「文明」ではなく「文化」と言ったが、そして決してモアイ像を貶める気はないのだが、
しかしそれでも思うのは、これを「文明」と呼ぶのは言い過ぎではないかということなのだ。
私は正直、「あれだけ大量のモアイ像」を作るのにそんなに大人数はいらないと思う。
そりゃ短期間で作らなければならないのなら大人数が必要だろうが、モアイ像の作成は何百年にもわたって続けられている(とされている)。
それだけの時間があれば――そして、他に目ぼしい事業はしていないのなら――、人口数千人の社会だって十分ああいう文化産物を生み出すことはできると思う。
また、イースター島の面積は約163k㎡で、これは日本の平戸島・利尻島などとほぼ同じ面積である。
この日本の人口極大期を少し過ぎた時点の今の平戸島や利尻島でも「数万人」は住んでいないのに、たいして豊かな土地でもなく外部との連絡もほとんどなかった(とされている)古代~近世のイースター島に数万人も継続して住んでいたとは、なかなか思えないではないか。
次に、「住民自身の(樹木伐採などの)環境破壊とそれによる戦乱で、イースター島は自己崩壊した」という点について。
これがいかにも現代人の喜びそうな「教訓話」になっていると感じるのは、私だけではないだろう。
いや、見事なまでの「創作教訓昔話」としか感じられない、と言っては言い過ぎか。
そして私が子ども時代に読んだ学習漫画では、その環境破壊後の戦乱というのは部族紛争で、なんと「長耳族」と「短耳族」の争いだったと記憶している。
「長耳族と短耳族の戦争」――
これはもう、ファンタジー物語の設定と言わずして何と言おう。
もしこれが史実であったと信じるならば、日本の戦国時代なんて何族と何族の争いだったと言えばいいのか……
私はもちろん、イースター島の歴史研究についてほとんど何も知らない。
しかし、そこにおける従来の「定説」というのが「現代人にウケる教訓話とするためのファンタジー設定」ではないかとは、どうしても感じてしまうのだ。
これはイースター島のみならず、全世界のあらゆる地域の歴史研究に忍び込んでいる要素なのではあるまいか。
人間には――歴史研究者にもその引用者にも――、そういうことをしたくてたまらない動機や衝動があるのではないか。
さて、上記引用記事の末尾には、他の何より気になることが書いてある。
イースター島の古代住人のゲノム解析によると、それには南米先住民の遺伝的特徴が残っており、両者の混血は1250年から1430年の間に始まったとみられることがわかった――
というのである。
つまり、あのコロンブスの1492年より先にイースター島人すなわちポリネシア人がアメリカ大陸(ただし南米)に到達し、しかも往来さえ行なっていたかもしれないというのだ。
私はこれは、事実だと思う。
イースター島人(ポリネシア人)の「アメリカ大陸発見」は、実際にあったのだと思う。
東に向かったポリネシア人が(あんなちっぽけな)イースター島を発見し定住したのなら、そのさらに東にある巨大なる南米大陸を発見しない方が、むしろ不自然である。
私としてはこのことの方が、モアイ像よりはるかにロマンを感じるのだ……