2022年も終わろうとしているが、2022年の世界最大のニュースと言えば、やはりロシアによるウクライナ侵攻である。
では日本での最大のニュースは何かと言えば……
これは実に選定に困るのだが、単発のニュースではないものの、私としては「マスク文化の定着」としたいところだ。
2019年末の新型コロナ発生からほぼ3年、この外出時はマスクをするという習慣は、もう完全に日本社会に定着した。
先日のサッカーワールドカップの中継でもわかったように、もはや日本以外の世界では、おおむねマスク着用から脱している。
今はもう日本だけが孤塁を守っている、という状況になっているのだろう。
しかし、にも関わらず、日本のコロナ感染者数は連日世界最高値を記録していた。
(もっとも現時点では、ゼロコロナ政策が崩壊した中国では、連日ものすごい数の感染者が出ているらしいが……)
これは、何も反ワクチン反マスクの陰謀論者でなくても、マスクの真の効用に疑問を抱かせる事実ではあった。
だが、それでも日本人の大多数は、マスク着用の習慣を堅持している。
それはもうマナーやエチケットを超えて、「まともな人間の証」であり「人の道」にまでなっている。
そして積極的に、「今後もマスクを外したくない」という人たちも、けっこうな割合でいるのである
(⇒ 2020年4月8日記事:結局、マスクは効果があるのかないのか)
(⇒ 2021年12月6日記事:マスクで厳格イスラム化する日本-イスラムはルッキズムから女性を守っている?)
(⇒ 2022年7月16日記事:子どもたちの自発的マスク着用-日本「顔ブルカ文化」の発生)
「不倫は文化」という芸能人の言葉が、一世を風靡したことがあるが――
もう「マスク着用は日本(独自)の文化」と言っても、世界的には間違っていないだろう。
いずれ世界中のイラストレーターが日本人を描くとき、マスクを着けている姿を描くようになるのもそう遠いことではないかもしれない。
マスクこそ、日本人を象徴する記号であり……
ちょうど中東のアラブ人が「あの頭巾」をかぶっているのと同じく、
イスラム文化圏の男性が頭にターバンを巻き、女性がベールとかチャドルとかを着用して歩いている「街角シーン」を見れば「ああ、イスラムの街だ」と一目でわかるのと同じように、
東洋人がみんなマスクを着けて街を歩いているシーンを見れば、世界中の人が「ああ、日本の街だ」とすぐわかるようになるのだろう。
それはたぶん、世界の人から見れば奇態な光景ということになるのだろう。
しかし、日本で「奇態な風習・文化」が発生し定着したのは、何も今に始まった話ではない。
我々の先祖は、「ちょんまげ&月代(さかやき)」、「お歯黒」、「ハラキリ」などという非常に奇態な風習を国内に定着させ、普通化させてきたという前歴がある。
特にちょんまげというヘアスタイル、同時代(江戸時代)の女性の「どうやったらこんな髪の結い方を考えつくのか」と言いたくなるようなヘアスタイルは、世界に類例のない独自極まるものであった。
日本人は独創性に欠ける、としばしば言われるが――
何の何の、独自の習俗と文化を創造することにかけては、日本人はかなりの実績があると自負していいだろう。
そして現代の日本人にも、その血はどうやら脈々と受け継がれているようだ。
我々は今、かつてちょんまげを生み出し、通常の文化として200年くらい全国土に定着させた日本人の文化創造力・文化確立力というものを、リアルタイムで見る幸運に恵まれているのかもしれない。
あの頭巾とターバン、チャドルやブルカが即イスラム教徒に繋がるように、
マスクと言えば日本人という「新たなる固有の伝統文化」の誕生を、今まさに我が身で体感しているのかもしれない。
そういう意味で我々は、日本の文化史の目撃者(というか創造者)となっているのである。