1月20日、ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任した。
イスラム国(IS)はその就任式で彼の暗殺を「図っていた」そうだが、もちろん実施されなかった。
(⇒ 2017年1月19日記事:もしイスラム国がトランプを暗殺したら)
もっともイスラム国は自ら暗殺を「予告」していたわけではない。
アメリカ政府職員からそういう話があったとして、マスコミが報じただけである。
そしてイスラム国がトランプの(じゃなくてもアメリカ大統領の)暗殺を謀っているなんてこと、政府関係者どころかそこらのオッサンオバサンでも誰でも考えつきそうな/連想しそうなことに違いない。
しかしこれ、ちょっと思ったのだが――
イスラム国などテロ集団に対する、有効な対抗策(カウンター・テロリズム)にならないだろうか?
「イスラム国は○月○日、○○式典でアメリカ大統領の暗殺を計画している」
「イスラム国は○月○日、フランス大統領の**訪問を狙って暗殺を企てている」
「イスラム国は○月○日、日本の皇太子をその即位前に殺害しようとしている」
これらの情報を、各国政府(の情報機関)が率先してマスコミにリークするものとする。
当然根も葉もないことで、イスラム国にそんなことをする意思も準備もまるでない。
しかしこんなことが繰り返されれば、結局イスラム国とは「言うだけ番長」の情けない組織、というイメージが広まってくれるのではないだろうか?
(ちなみに「言うだけ番長」とは昔の漫画『夕焼け番長』をもじった言葉で、私の知る限りプロレス起源の言葉である。
1980年代後半、前田日明(あきら)が長州力を批判して言った。)
もしイスラム国が、それでも相も変わらず今まで通りに一般市民を狙ったテロを繰り返すなら――そしてたぶん、そうするのだが――、
それは世界の人々の怒りとか不安より、むしろ嘲笑を招くのではないかと思われる。
結局彼らは(ガードの堅い)大物を殺ることはできず、誰だってやれそうな一般市民相手のテロしかできないのだという証明になるからである。
正直私は、イスラム系の自爆テロリストの話を聞くたびに、その実行者に「情けなさ」を感じてしまう。
大統領や軍や政府の高官を殺すため自爆するなら、まだしも気分が高揚しようが――
相手は名もない市民である。そんなのを何十人か殺そうとするなんて、日本では宇都宮市の悩める孤独な老人だって実行しようとしたことである。
(2016年10月23日、「冤罪DV」を訴えていた栗原敏勝(72歳)が自宅と自家用車を時限装置で爆破したうえ、宇都宮城址公園で自爆死した。)
なんか、そういうことのために命を捨てに行くなんて、私だったら陰々滅々な気分になる。
「どうせなら、もっと大物を殺れねぇのかよ」と心底思う。
名もなき雑兵の首ばかり取ってくる人って、“殺人横行、殺人が手柄”の戦国時代でも馬鹿にされたはずである。
自爆テロリストとか殉教者って、結果的にそういう人ばかりではないか?
はっきり言ってイスラム国は、ここらで一発、世界的な要人を殺害しないと評判を失う瀬戸際にある。
もしロシアのプーチン大統領の暗殺にでも成功すれば、評判と名声は素晴らしく高くなるだろう。
しかしたぶん、それは能力的にできない。
よって、ありもしない暗殺計画の情報を流すことで、イスラム国の評判をどんどん落とすことができる。
市民は殺すが要人は殺せない“腰抜け・言うだけ番長”との評価が国際的に定着すれば、さすがにイスラム国に志願する人数も減るだろう。
いや、もしかしたら今回の「トランプ暗殺計画」の報は、すでにそうした戦略の一環だったのだろうか……
(というのは、たぶん深読みしすぎである。)