プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「金属バットで親殺し」再び-それでも速やかに忘れ去られて

 1月23日午前4時ごろ、静岡県浜松市の会社員・増田圭介さん(57歳)が、息子で無職の増田亮太(22歳)に金属バットで殴られて殺害された。

 また昨年(2016年)12月26日には、名古屋市千種区で母親・林恵子さん(64歳)が息子で無職の林宏季(ひろき。37歳)に金属バットで殴られて殺害された。

 「金属バットで親殺し」とくれば、あの事件である。

 ほとんどの人は詳細を知らなくても、イメージだけはなぜか知っているあの事件……

 伝説的ともいえる超有名事件、1980年に神奈川県川崎市で起きた「予備校生が金属バットで両親を殴り殺した」事件のことだ。

 実際、「親殺しとくれば金属バット」というほど、この事件はインパクトが強かった。事件から37年経った今でも、日本人のかなりの部分がこの件を“知って”いるだろう。

 受験戦争社会の中、エリート家庭における挫折息子が「金属バットで親を殴り殺す」というシチュエーションは、これほどまでに人の心に残り続ける――


 だが、しかし。

 思えばこの事件、1980年代というネット社会前夜に起こったからこそ、ここまで記憶されている。

 1980年代と言えば私はまだ子どもだったが、学校から帰ってきてテレビで毎日やっているのは、あの「ロス疑惑」のことばかり――夫・三浦和義が妻・和美さんをロサンゼルスで殺害したとされる事件――だったのを憶えている。(『三時に会いましょう』という番組だった。)

 “和美さん銃撃事件”“和美さん殴打事件”というフレーズを聴けば、そういえばそんなことがあったと思い出す人も多いはずである。

 しかしこれ、まだ子どもの私にとっても、「この世には他にもいくらでも殺人事件が起こっているのに、なんでこの事件ばかりこんなに報道されるのだろう」と不思議に思わずにいられなかった。

 そして80年代を締めくくるのが、宮崎勤の幼女連続殺人事件(1989年)。

 90年代に入ると、オウム真理教事件(1995年))と「酒鬼薔薇聖斗」による神戸連続児童殺傷事件(1997年)。

 おそらくこの2000年直前までが、「事件が伝説になり得る」限度だったのだろう。


 もはやネットもテレビ局も、二度と“ロス疑惑”のような集中報道をすることはないと思われる。

 また、たとえ10人を一度に殺傷する事件が起きたとしても、その話題は1ヶ月ももたないことを確信を持って予測できる。

 それは我々が凶悪事件の頻発に慣れてしまったからではなく――

 「重要ニュースとは、価値あるニュースとは、最新ニュースのことである」というニュース化社会を生きているからだ。

 そしてこれは、うだつの上がらない人間が“せめて犯罪でも起こして有名になってやろう。悪名でいいから名を残そう”と思い詰めて殺人しようとすることを、相当程度無効化してしまうものである。

 また、“憎い相手への復讐として自殺しよう”とすることを、ほとんど無意味化するものでもある。

 どうせ何をやったところで、3週間も経たないうちにほとんどの人から忘れ去られる。

 (日本では)ヤフーニュースを頂点とするニュースサイトに載らない話題は価値がないのであるし、ニュースサイトは常に最新情報を更新することによって価値があると見なされる。

 そうしなければ、情報消費者(つまり我々全員のことだ)からバカにされたり見放されたりするのである。

 マスコミも世間も、たった一つの事件にいつまでも関わり合ってるヒマはない――そんなことはイケてることではないと見なされる。

 

 これからも「金属バットで親殺し」は起こり続けることだろうが、そのどれ一つとして1980年の事件を上回るインパクトとイメージを社会に与えることはないだろう。

 幼女連続殺人事件も、少年による猟奇殺人も、これから先に何度も起こる――

 しかしやはり、宮崎勤酒鬼薔薇聖斗(少年A)の知名度を上回ることはない。

 ひとえに、ネット社会・ニュース化社会に入る前の事件だったからである。

 これは犯罪界における、一種の「先行者利益」とでも言うべきだろうか?