たぶん世間ではそういう扱いはされないが、今年一番のビッグニュースと言える「事件」を神戸新聞が報じた。
かの超有名な、未成年少年少女による殺人事件――
「少年A」もしくは「酒鬼薔薇聖斗」事件(神戸市1997年)、
の事件記録を、担当裁判所が全て廃棄していたというのである。
(⇒ 神戸新聞 2022年10月20日記事:【独自】「少年A」の全記録、裁判所が廃棄 神戸連続児童殺傷、家裁「運用、適切でなかった」 内規に抵触か)
(⇒ 神戸新聞 2022年10月20日記事:【独自】長崎小6女児殺害の記録も廃棄 「特別保存」機能せず、少年A全記録廃棄問題 バスジャックは保存)
いやあ、すごいもんである。
この両事件の記録と言えば、ダンボール箱で何十箱に及ぶはずで――
確かに保管スペースは限られているのだから、一気に廃棄したくてたまらなくなる気持ちはわかるが、しかしこの事件の記録を全て捨てようなんて、並の神経ではとうてい思いつかない気がするのは私だけだろうか。
いま日本の企業や官庁で深刻なのは、むしろ「捨てられない問題」ではないかと思う。
昔の文書がいつ必要になるかわからないと思い、捨てるのが怖くて(自分が担当の時にわざわざ捨てなくていいやと思い)、どんどん書類が増えていく……
それに比べて、この裁判所の思い切りの良さはどうだろう。
まさに大胆不敵を地で行く感じで、私にはとてもそんな思い切りはつきそうにない。
しかし考えてみれば、裁判所も国の官庁である。
国の官庁と言えば、あの森友学園事件のとき近畿財務局と国税庁は、
「売買契約締結から1年経過したから、その契約にかかる記録は廃棄した」
「国税庁長官の日程表は、1日で廃棄している」
などという、驚天動地級の失笑ウソ説明をしていたものである。
どうも国の官庁というのは、(日本の組織の中では際立って例外的に)よほど廃棄するのが好きというか得意らしい。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
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さて、軽口はさておき――
これほどの重大事件の記録を全廃棄するというのは、もはや犯罪ではないだろうか。
名付けて言うなら「記録廃棄罪」ではないか。
なるほどさっき言ったように保管スペースは限られているし、事件記録を電子化すると言っても、それにはかなりのコストと手間がかかるのはわかる。
しかし、この手の記録廃棄罪を犯させないようにするため、そういうことにこそ予算を投入すべきだとあなたは思われないだろうか。
それにしてもやっぱり、裁判所と言っても所詮は国の官庁であった。
国の官庁というのは、常人には思いもよらぬ記録の捨て方をする組織であった。
そのことがまたも証明され、これほどの重大事件の記録は永遠に失われた。
おそらく今後も、また我々はこんなニュースを聞くことになるのだろう……