8月17日、落語家の笑福亭仁鶴(にかく)が死去した。享年84歳。
また8月7日には、漫画家のみなもと太郎が死去していた。享年74歳。
先日の千葉真一の訃報に続いて、まさに巨星が連続して墜ちた観がある。
今の若い人にとって、笑福亭仁鶴は落語家というより司会者だろう。
それも土曜の昼にやっている、NHKの「バラエティー生活笑百科」の司会者である。
あの音楽と「四角い仁鶴がまぁ~るく、おさめまっせ」というフレーズは、誰の耳にも残っているのではなかろうか。
(しかし「四角いニカク」って何のことだろうと、知らないままでいる人も多い気がする……)
しかも私はこのたび初めて知ったのだが、なんと彼、1986年から司会を務めている。
「国民的アイドル」というのとは違うが、これはもう久米宏や田原総一朗などと並ぶ「国民的司会者」と呼んでもおかしくはない。
そして彼に比べればはるかに知名度はないが、しかし熱烈なファンの数という点では勝るとも劣らない(だろう)のが、みなもと太郎である。
みなもと太郎と言えば、もちろんリイド社で現に連載中(しかし昨年から休載中)だった『風雲児たち』が絶対的な代表作だ。
私見ではこれは、歴史漫画の頂点に達した傑作群である。
ここで『風雲児たち』の読者らが、誰でも疑問に思っているだろうことを二つ挙げてみる。
(1) なぜこんなに面白くてタメになる漫画が、ジャンプとかマガジンではなくて(版元のリイド社には大変申し訳ないが)コミック乱というマイナーな雑誌に連載されていたのか。
(2) なぜ風雲児たちの単行本を置いてない書店は、こんなに多いのか。
(1)はたぶん、週刊誌に連載するペースではとても描けないからだろう。
作者の年齢的にも史料の読み込み的にも、そんなことはとてもできる相談ではなさそうだ。
逆にコミック乱という月刊誌に月々連載できていたということ自体、驚異的とも言えそうである。
そして(2)はたぶん、リイド社が集英社や講談社ほどの書店流通力を持っていないことが原因だろう。
しかしつくづく、これは惜しいことだったと思うのである。
風雲児たちという漫画は、もっと大勢の目に触れ、買われるべきだったと思う――
はたして現に読者である人で、そう思わない人がいるだろうか?
みなもと太郎のもう一つの代表作は『ホモホモ7』であるが、こちらの方は発表年代が古すぎるのはもとより、
男性同性愛者をホモと呼んだり面白おかしく描くことが悪となった現代において、もう日の目を見ることはないだろう。タイトル自体がアウトだろう。
よって彼の代表作は、風雲児たち一本となる。
しかし、それで充分である。
彼が生きているときでさえ、年齢的に風雲児たちが未完に終わる可能性が高いと思っていた読者は多くいただろう。
(結局、生麦事件の段階で未完となった。)
しかし、その読者も(叶わぬことと知りながら)、こう思っていたはずである――
『学習まんが 日本の歴史』を本当に描いてほしいのは、この人であると。
みなもと版『学習まんが 日本の歴史』こそ、まんが日本史の決定版になるだろうに、と。
日本を代表するアクションスター、
落語家の国民的司会者、
歴史漫画の真の巨匠――
3つの巨星が堕ちた8月は、まさに弔いの8月になってしまった。