落語家で「笑点」のレギュラーとして国民的人気スターだった桂歌丸さんが、ついに死去した。享年81。
このニュース、青天の霹靂というわけではない。
笑点ではあれだけ三遊亭楽太郎(現・円楽)と「死ぬ」ネタで掛け合いをしていたし、もう高齢で体調もかなり悪いのはよく知られていたのだから……
しかし、笑点レギュラーとして40年超、司会者として10年、足かけ半世紀以上も全国地上波のテレビに出続けていたのだから、凄まじい話だ。
おそらく落語というのは、浪曲などと同じく、戦後急激に衰退して「よほどのマニアしか見ない」ものになるはずだったろう演劇である。
だが、そうはならなかった。
たぶん笑点という番組が落語を生き残らせ、それどころか落語家を全国的知名度を誇るスター職業にした面は、たぶんにあると言えると思う。
桂歌丸とは、その笑点の象徴というか一心同体だった人物である。
なお、彼は横浜の妓楼の家の出身だという。
このことは、このたびの新聞報道で初めて知った。
「妓楼」-これはまた何とも時代を感じさせる言葉で、今はない職業であり施設である。
おそらくここ数十年、新聞に「妓楼経営者」という言葉は載ったことがないはずである。
まるでなにか、明治の香りさえ漂わせる出生ではないか。
ここは若い人のため、新聞各紙は「妓楼」の解説を付けるべきだったのではと思わないでもない……
さて、桂歌丸は昭和の大部分及び平成のほとんどをその活躍期間とした。
もちろん笑点は今も放送を続けている。
しかし私の中では、彼もまた「昭和」の落語家の一人というイメージだ。
だから先日の西城秀樹の死と同じく、彼の死も「また一つ昭和が終わった」という感慨を抱かせる。
(いかりや長介などもである。)
平成ももう、30年もの月日を閲した。
しかしそれでも「昭和の芸人」がまだまだ活躍している様は、これまた感慨深い。
私の中ではビートたけしも明石家さんまも和田アキ子も依然として「昭和の芸人」で、「平成の芸人」といえば、とんねるずあたりからである。
そして以前もこのブログで書いたが……
昭和の(真の)終わりを最も感じさせる「死」と言えば、アントニオ猪木のそれなのだろう。
猪木はおそらく、昭和から平成を経て新元号の時代まで生きる。
そう考えると昭和の終わりはまだまだ当分先の話のようだが――
しかし当たり前ながら、やっぱりやがて確実に来ることでもある。
新元号の時代とは、彼らの訃報が次々と新聞とネットに流れる時代であり、ついに昭和が終焉を迎える時代になるのだろう。