プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

京アニ放火大量殺人事件被告に死刑判決-日本人の死刑支持はますます強固に

 1月25日、あの2019年7月の京都アニメーション放火大量殺人事件(36人死亡・32人重軽傷)の犯人(45歳)に対し、京都地裁は求刑どおりの死刑判決を下した。

(⇒ 京都新聞 2024年1月25日記事:京アニ放火殺人に死刑判決 青葉真司被告は最後におじぎ)

 もちろんこれだけの人数を殺しておいて、死刑以外の判決はあり得ないことだった。

 もし精神疾患を理由に無罪判決など出ていたら、それはもうものすごい反響でありセンセーションであったろう。

 しかしそうなったらそうなったで、現実のように「予想どおりの」死刑判決が出てもまた、やはり日本人はますます「死刑は必要、あって当然・あるべき制度」という想いを強くしていただろう。

 欧米を見習って日本も死刑を廃止すべきだという論は何十年も前から続いているが、しかしその支持はほとんどいっこうに増えることがない。

 これはまるで「日本ではキリスト教の信者がいっこうに増えることがない」のとよく似ている。

 これだけ日本人の生活が欧米化しても、欧米の流儀だの人権意識が幅を利かせても、ミッション系の学校と言えばそうでない学校より「高級」だという通念があっても――

 それでもキリスト教の信者割合は増えることがなく、死刑廃止論もまた国民に支持されない。

 それはあたかも、死刑というものが(欧米化されることのない)日本人の魂の根っこに根差しているかのようだ。

 

 おそらくそれは、単純明快な応報意識による。

 また、「こんなことして死を持って償わないのは、どう考えても間違っている」という強固な道徳観による。
 
 しかしおそらく、今回の事件の被告に「償う」という意識はない――あっても、そんなにはない――だろう。

 いや、今までも反省や「自分は間違っていた」「悪いことをした」などと全く思わず、自分はむしろバカな連中による犠牲者だ、間違っているのはそいつらにより構成される社会の方だと思ったまま死刑になった人間は多いはずだ。
 
 そして言うまでもなく「死をもって償わせる」って、何をどう償うのか、どんな償いの原資になるのかという問いには、たいした答えがあるわけではない。

 そうすると死刑の一番の機能は、「そういう人間を世の中から削除する」という削除機能ということになり、第二の機能がそういう人間連中への警告機能になるのではないか。

 別に反省などしなくていい、ただそういう人間をこの世から削除することは社会(つまり他人の集合体)にとって利益になる、だから死刑にする――

 これは応報意識や償い意識を抜きにしても、またはそれらが役に立たなくても、十分に死刑を存続させる理由になると思う。

 もちろんこれは、応報や償いというウェットな理由に比べれば、ずっとドライな理由である。

 しかしそれだからこそ今の、そして将来の社会にマッチする理由だとも言える。

 また「無反省で矯正不能の犯罪者」が増えれば増えるほど、日本社会は(怒りは伴いつつも)ドライにそいつを削除処分することを支持するようになっていくだろう。


 結論として、今後も日本で死刑廃止が国民の過半数の支持を受けることはないと思われる。

 もし万一にでも死刑廃止となったら、それは国民の支持によるものでなく欧米社会に「合わせるため」という理由だろう。

 そうなったら日本では太平洋戦争以来、久しぶりに「欧米の侵略」に反対・抗議する声が轟々と沸き上がりそうである。

 こんなことした犯人を、死刑で削除することもなく生かしておく……

 そんな欧米を不道徳かつ社会的コスパ計算もできないバカと見なすメンタリティが、日本のスタンダードになる見込みは十分にある。