11月26日、世界的スーパースター歌手のマドンナは、
「インスタグラムは、私の乳首の一部が露出していたからと言って、私の投稿した写真を警告・通知なしに削除した」
として、その写真の乳首をハートマークで隠したものを再投稿した。
(⇒ ハフィントンポスト 2021年11月27日記事:マドンナ、インスタ投稿の削除に抗議。「男性の乳首は性的に感じられないの?」)
マドンナは言う――
「私たちが、乳首以外の女性の体のあらゆる部分を見せることができる文化の中で生きていることに、いまだに驚かされています。
まるで、それが女性の体の中で唯一性的に扱われる部分であるかのように。
乳首は赤ちゃんに栄養を与えるものです!
男性の乳首は性的に感じられないのでしょうか?」
私は欧米のことは知らないが、「乳首以外はあらゆる部分を見せることができる」というのは間違いではないかと思う。
さすがに日本と同じく、肛門の穴や女性器・男性器を見せることはインスタグラムでも許されていない(削除される)はずである。
それはともかくマドンナは、
「女性の乳首は赤ちゃんに栄養を与えるものだから、たとえ性的であっても見せていいはず。
男性の乳首だって性的であるはずなのに、何の問題もなく(削除されずに)見せているじゃないか」
と言っている。
これに関連して私が、ずっと昔から不思議に思っていることがある。それは、
「女性が自分の乳首を見せることを恥ずかしがる文化はあっても、
なぜ男性が自分の乳首を見せることを恥ずかしがる文化はないのか」
という疑問である。
我々は、女性が乳首を見せることを恥ずかしがる・恥ずべきこととする文化の中に生きている。
しかし、アフリカとか南太平洋の島々や南米の密林、あるいは古代エジプトのように、そうでない文化・民族・部族がある・あったのは誰でも知っていることだ。
つまり女の乳首を見せる・見られるのを恥ずかしがる文化というのは、全世界に普遍的なものではない。
ところがしかし、男の乳首を恥ずかしがる文化というのは、私の知る限り世界に一例もない。
これは、なぜなのだろうか。
それともこれは、疑問に思う方がおかしい愚問なのだろうか。
だが、今までこれほど人類が多種多様な文化や習俗、奇妙奇天烈に思える「恥の意識」を発展させてきたことを考えると、せめてどこかの一部族くらいは「男の乳首を恥ずかしがる意識」を持っていてもいいように思うのである。
それなのに現実は、人類は全員一致でそんな意識を持つことがなかった。
これはやっぱり、男の乳首は人類一致で性的なものでないと認められているが、女の乳首は意見が分かれている、ということになりはしまいか。
そして(私はもちろん詳しくないが……)現代日本のボーイズラブとかの世界でも、男の乳首は特に際立って性的な描かれ方をされることはないのではないか。
こういうことが文化人類学の世界で研究対象になるものかどうかわからないが――
とにかく、男の乳首を恥ずかしがる文化・部族があったことが発見されれば、それはまさに「小さな大発見」と呼んでいい気がする。