昨年10月、ハリウッドの大物プロデューサーであるハーベイ・ワインスタイン氏から性的暴行を受けたとして告発し、一躍「#MeToo」運動の中心的人物となった、イタリア人女優のアーシア・アルジェント(42歳)氏。
そのアルジェント氏自身が、なんとなんと――
2013年当時17歳だった映画共演者ジミー・ベネット氏をベッドに押し倒して性的暴行に及んだとしてベネット氏に告発され(しかもアルジェント氏の告発からたった1ヶ月後)、日本円で4200万円もの和解金を支払うことで合意していたらしい。
いやあ、何というか、不謹慎ながら笑ってしまうような展開である。
2013年にはアルジェント氏は37歳。これは何というか、まだまだイケる年齢ではある。
(人によっては、これこそ最も脂の乗った女盛りの時期だと感じるだろう。)
だがベネット氏は、告発を選んだ。
その理由は「アルジェント氏が被害者ぶっているのが許せなかった」かららしい。
17歳の少年が37歳の女性に「強姦」されて、その和解金が4200万円。
やはり欧米はこういうことに関してケタが違うと言うべきか、日本だったらこの10分の1も行かないだろうと思われる。
だが日本が欧米を後追いするのは、日本の真の伝統である。
きっと日本でも、今に強姦の和解金はこれほどの額に行くだろう。
こういうことが報道されれば、自然とそうなるものである。
ところで、以前の記事にも書いたことだが――
「イジメられっ子は、同時にイジメっ子でもある」
「差別を受ける人は、自分自身も他の誰かを差別している」
という救いようがない社会の構図は、もちろん日本の専売特許ではないようだ。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
こともあろうに、
●反セクハラの性差別糾弾運動の中心である人物が、
●自分が強姦されたとして他人を告発した人物が、
●しかもその上、よりにもよって女性が、
自分自身は仕事仲間の未成年少年を強姦していただなんてこと、凄まじいばかりの悲喜劇である。
やっぱり人間は、どうでもこうでも「士農工商エタ非人」の構図を作りたくて仕方ないようだ。
「自分より下」がいてほしい、その「下には自分がやられて嫌なこともしていい」と、実にナチュラルに思い込むようにできているようだ。
アングロサクソンもアジア人もアフリカ人も、ついでに言えば世界中のどの民族も、この点は違いがないかに見える。
その意味で、確かに「人類皆兄弟」である。
そしてこういう性癖は、やっぱり「天才も聖人も極悪人も、セレブも庶民も誰も彼も、単に偶然でそう(なるよう)生まれてきただけ」という当然のことを理解するまで、人類から治りそうもないようである。