1月7日夜、一人の独身男性社長(44歳)がその自宅で自社の男性営業部長(45歳)に殺害された。
営業部長は4年前に社長に乞われて入社したと言うが、そのずっと前から高校時代の同級生であり「親友」だったという。
(⇒ 集英社オンライン 2026年1月10日記事:〈大田区・社長密室殺人〉「上司として態度が気にいらない」逮捕された部下は“まっちゃん”“かわちゃん”と呼び合った一番仲が良い同級生…密室の謎も解明)
この殺人事件が他の殺人事件より世の人の興味を引くとすれば、それはやはり
「親しい友人と一緒に仕事をしてはならない。
ましてや上司と部下の関係になってはならない」
という鉄則の再確認事例であるからだろう。
一般に、こういうことをしてはならないと世間一般では常識化しているはずだが、しかしそれでも人類は何千年も前からこういうことを繰り返してきたものである。
そしてもう一つ興味を引く点がもちろんあって、それは「部下が上司を殺す、しかも社長というトップを殺す」という点であるのは言うまでもない。
かつて「主殺し」は大罪とされたものだが、現代でもそのことによって刑罰こそ重くならないものの、インパクトだけは十分に生き残っている。
この現代の主殺しは、現代人の心にも大いに訴えるところがあるのである。
またおそらく、多くの人はこうも感じるのではないだろうか。
この「上司殺し」という事件類型は、本当はもっと起こっているべきもののはずなのに、それにしては「珍しい」と感じる数しか起こっていないようなのはなぜなのだろう、と……
この点で上司殺しという犯罪には、放火という犯罪にも似たところがあると思う。
前者は「そんなことしようと思い詰める人は全国に大勢いるはずなのに」という動機の偏在性で、後者は「誰でも簡単にできそうなのに」という手段の容易性であるという違いはあるが……
(⇒ 2015年5月2日記事:官邸ドローン事件と個人テロリズムの時代 その4 なぜ放火はもっと起こらないのか)
私は別にネット漬け・ニュース漬けになっているわけでもないが、しかしネットでもテレビでも職場での「イジメ」「パワハラ」のニュースが載らない日はほとんど一日もないように思う。
これはすなわち、全国には莫大な「上司殺し」の予備軍や志望者がいることを示しているはずなのだ。
にもかかわらず、イジメやパワハラに殺害で応じる事例は稀である。
私はここでも、海外事例が欲しいものだと思う。
いったいこれは日本だけの現象なのか、他の世界でも自分の上司やトップを報復殺害する事例はやはり稀なのか、そこが大いに知りたいところだ。
それともこの「本来もっと起こっていておかしくない」現象が実際には稀なのは、やっぱり世の中の人のほとんどは殺人などしない、そこまで心が至らない、ということの証明なのだろうか。
そして今回の事例は、もし2人が「親友」関係でなかったら本当に起きなかったのだろうか。
これが「親族」関係だったらどうだったか。
そういえば同族関係で成り立つ会社なんて世の中にはゴマンとあるし、その内紛や極度対立の話題もゴロゴロ転がっているはずなのだが、しかしそれでも殺人事件の発生に至るのはほんのわずかだろう。
まったく人間が殺人に至る心理や環境・原因というのは、まだまだ未解明である……