プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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社会実験:DJ SODA「ああいう服装」写真を公共の場に貼るとどうなるか

 韓国の人気DJ(SNSフォロワーは500万人くらいいるらしい)であるDJ SODA(ソダ)が、大阪で行われた音楽祭で「観客3人に胸を揉まれた」性被害を訴えた件――

 私はDJ SODAという人のことを全く知らなかったし、日本人のほとんどもそうだったのではないかと思うが、これが大々的に報道されたため、もう日本では知らぬ人の方が少なくなっただろう。

 それはともかく彼女の性被害の訴えに対しては、(やっぱりと言うべきか)

「自分から揉まれに行ってる」

「これは公開の美人局(つつもたせ)」

「あんな露出的な服を着てる方が悪い」

 というカウンターが相次いだ。

 しかしどうも、それらはことごとく一方的に非難・批判されている趨勢のようだ。

 ネット上の「勢い」次第で何が正しいか何が悪いか決まるものではない――

 と言っても、もはや勝負あったという感じではなかろうか。


 さて、そうなると、ぜひともしてもらいたい社会実験がある。

 それは、こういう実験だ。

(1) DJ SODAと日本の公共機関(企業でもいいが)が提携して、イメージキャラクターやキャンペーンキャラクターになってもらう。

(2) もちろんSODAには「ああいう服」を着てもらう。

  本人が自分はああいう服を着たいから着るのだ(しかし、だからと言って性被害を受けてもいいと思っているのでないのは当然)と言っているのだから、それはOKのはずである。

(3) その写真を使ったポスターを、駅や電車の中といった公共の場に張り出す。


 この実験で何が知りたいかというと、むろん世間の反応である。

 これまで、「性的な(ものを感じさせる・アピールしている)画像」を公共の場に――ネット上にでも――掲示しているとして批判を浴びたケースは、枚挙に暇ない。

 特に公共機関がそれをやると、絶対に批判される。

(⇒ 2022年12月17日記事:「萌え絵広告」を公共機関がやったら憲法的に擁護されるか?)


 しかしそれが、DJ SODAの「ああいう服」写真ならどうなのか。

 SODAの「ああいう服」が性的なものでない、性的な効果を狙ってなどいない、性的なものを感じさせるものは何もない――

 なんて言う人は、自分にウソをついていると言うべきだろう。

 とりわけ「胸を強調した女の子の絵」を批判する人がそんなことを言うなんて、あり得べからざることである。

 ああいう服にはもちろん、性的アピール性がある。

 だが今回の騒動で――「挑発的な性的アピール服を着ているからと言って、性的なことをしていいわけでは絶対にない」という意見が圧勝したことによって――、そういう写真を公共の場に掲示するのはけしからん、という論は非常に劣勢になるはずなのだ。

 露出度の高い服を着たいから着てる、そういう服を着て人前に出たいから出る。

 そんな女性が映ったポスターを公共の場に張り出したとして、それで劣情を抱く方が悪いのではないか。

 そういう写真を見て羞恥を感じる、そんなのを多くの人に見せるのは「いけないこと」だと感じるのは、その方が悪いのではないか。

 まさか、現実の女性の写真なら良いが、二次元の女の子の絵ならダメだ、というわけにはいかないはずである。

 まさか、韓国人など外国人の女性なら――一目で外国人とわかったり、予め外国人だとわかっていれば――良いが、日本人の女性ならダメだ、というわけにはいかないはずである。

 DJ SODAの「ああいう服」ポスターが日本の公共の場に登場したとき、「女性の性を売り物にするな」派はどんな反応を見せるだろうか。スルーだろうか。

 そしてそう言えば、(世の批判によって)自然的に姿を消した「水着姿の女性のビールのポスター」とかいう類も、あるいは復活のチャンスがあるのではないか。

 「ああいう服」を着たいから着る、着た姿を大勢に見られたい(見られてもいい)と断言する女性がモデルであれば、それを見て不快に思う方が悪いことになるのではないか。

 まあ、こんな実験をする度胸のある会社も公共機関もないのかもしれないが……

 しかし思想的(哲学的?)には、大いに興味ある実験になるのではないかと思う。