映画監督の園子温(その しおん)氏(60歳)、榊(さかき)英雄 氏(51歳)、俳優の木下ほうか 氏(58歳)の、「自身の監督・出演作品における出演女優らへの性的加害」が報じられる中――
今度は「有名映画プロデューサー」の梅川治男 氏(61歳)もまた女優への性的加害(性的写真を要求するメールを送りつける)を行っていた、と報じられた。
(⇒ 文春オンライン 2022年4月6日記事:「園子温監督の右腕」有名プロデューサーが女優に性的写真要求メール)
こういう話は、興行界ではよくある話のようでもある。
何となく誰でも、興行界ではこういうことが割と普通に行われているのだろう、と思っているのではないだろうか。
それでもこのSNS社会の中、まだこんなことが割と普通に行われているのだとすれば、映画界は我々の想像以上に前時代的なのだということなのだろう。
ところで私は、この人たちの才能をウンヌンするほどこの人たちの作品を見ていない。
と言うか率直なところ、「誰この人?」と思うレベルである。
しかしそれでもハッキリ言えるのは、「才能と人格は関係ない」ということである。
物理学の天才だろうと戦略の天才だろうと、
歴史的な画家であろうと彫刻家であろうと、
それはただ「才能を持って生まれた一般人・ただの人」に他ならない。
もちろん映画監督も俳優も、「映画を撮るのが上手い一般人」「演技するのが上手い一般人」というだけである。
一般人は、「自分はコイツより『上』にある」と思いさえすれば、相当に横暴・残酷なことができるものだ。
その意味で、やっぱり今回の性的加害の連鎖発覚というのは、彼らがただの一般人であることを余すところなく立証している。
ところで、私はいつも思うのだが――
古代ローマ帝国には、ネロだのカリギュラだのといった「アタマのおかしい」皇帝たちがこれでもかと出現したものだ。
しかし、現代に生きる日本人でも、もし古代ローマで皇帝になっていたならば、同じくらいアタマのおかしい皇帝として歴史に名を残した人はものすごく多くいるのではないか。
今回の監督連や俳優連もそうだし、
なんならそれを批判する一般人にも、
そういう立場に生まれてさえいれば(そういう立場になりさえすれば)暴君や小独裁者になっていそうな人は、あなたの身近にもいくらでもいそうではないか?
そして実際、今の世の中にもあちこちに「狭い世界の王」「小独裁者」は繁茂しているような気がする。
そして、今の世でさえそうであるならば――
間違いなくその人たちは昔の権力者に生まれていれば、革命戦争で殺されるべき暴君であったことだろう。
そう思うと、「人は誰でも圧制者になる」というのが、絶対とは言わないが世の中の真理の一つなのだろう。