8月22日、全国家庭動向調査(国立社会保障・人口問題研究所)により――
夫婦の姓が「同姓である必要はなく、別姓であってもよい」に賛成が61.0%、
同性婚を法律で認めるべきだとする意見への賛成も75.6%と、いずれも過去最高に達したことが報じられた。
(⇒ 時事ドットコム 2023年8月23日記事:夫婦別姓に賛成、過去最高6割 同性婚容認も75.6%―家庭動向調査)
もっともこの調査結果は「配偶者がいる女性5518人の回答」に基づくものだそうで、そうでない女性や男性たちは入っていない。
が、もはや日本国民の半分を超えるくらいが夫婦別姓に反対感情を持っていないことは、明らかなようだ。
ちなみに私も、夫婦別姓の容認には賛成である。
ただしその最大の理由は、「希少姓の保存」というものなのであるが――
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さて、では、なぜ現代日本では夫婦別姓への賛成が増え続けているのだろうか。
その人たちは、夫婦別姓を良しとする世の(マスコミの)雰囲気に踊らされているのだろうか。
いや、私は、もっと実質的で本質的な理由によるものだと思う。
その理由とは、「夫婦が同じ姓を名乗らないことが、夫婦が一体でないということが、現代日本人の国民感情に適合しているから」というものである。
それは簡単に言うと、「自分の娘はいつまで経っても自分の娘、他人の家の妻ではない」という意識である。
かつて自分の娘が他の家の男に嫁ぐということは、「わがイエを出て行く」ということであった。
嫁いだ娘は「出た者(もん)」であった。
それには、嫁いでも依然として自分の娘なのは確かだが、それでも半分くらいはそうでなくなったという意味が込められていただろう。
しかし今の親は、どうか。
嫁いだ娘は、いつまで経っても死ぬまで100%自分の娘のままであるという意識が、一般的というか当然のものではあるまいか。
自分の娘が結婚したからといって、それは半分くらい他の男の(イエの)ものになったのだなんて意識を、どれほどの親が持っているだろう。
俗に現代日本では3組に1組の夫婦は離婚するなどと言われているが、そうであればなおさらのことだ。
とにかく現代日本人は、自分の娘が結婚したから親子の縁が薄まるなんて、薄まって然るべきだなんて、カケラも思っていないと思う。
夫婦別姓に反対する保守的な人でさえ、そんな意識じゃないのかと思う。
かつて日本には、「親子は一世、夫婦は二世」などという言葉があったらしい。
親子は一代限りの繋がりだが、夫婦は来世までも繋がっているという意識である。
しかしこれ、現代日本では、反道徳的とさえ感じられるのではあるまいか。
全く逆に、「親子は二世、夫婦は一世」こそ道徳であり真実だと、万人が感じるのではあるまいか。
日本人の意識はこの点、昔とはすっかり様変わりしているのだ。
そんな現代日本人(特に女性)が、「親から受け継いだ大切な家名を変えたくない」と思うのは自然である。
親の方も、「結婚したからって娘の家名が変わるのには抵抗がある。向こうの家に引き渡したわけじゃないぞ」と感じるのも道理である。
自分の娘はいつまで経っても自分の娘。
自分の親はいつまで経っても自分の親で、自分の真の帰属先は実家である――
それが現代日本人の普通の道徳的意識なのだから、夫婦別姓を支持する人が多数になるのは、至極当然・自然の流れとしか言いようがない。