6月9日、埼玉県のしらこばと水上公園で開催予定だった「近代麻雀水着祭2023」水着撮影会と「ミスヤングアニマルオーディション・セミファイナル」プール撮影会、及び川越水上公園で開催予定だった「フレッシュ撮影会」が、中止となることが伝えられた。
これらは埼玉県営施設であるが、埼玉県公園緑地協会が指定管理者となっている。
これらイベントは、主催者(使用申請者)に対し「過激な露出の水着やポーズ」がないことを許可条件にしていたそうだが――
県民から寄せられたメールでそれらが(過去に)守られていないことが指摘され、過去写真などを確認してみたところ、確かに違反の事実が確認されたため「公序良俗違反」と判断し、主催者へ中止を要請(事実上は許可取り消し)したとのこと。
さらには今後、県営公園での水着撮影会は一律で禁じる方針だと明らかにしている。
なお、直前の6月8日には、日本共産党埼玉県委員会ジェンダー平等委員会と日本共産党埼玉県議会議員団らが、埼玉県に対し水着撮影会の中止を要請していたとのことだが――
県や協会の言葉を信じるなら、それは今回の判断とは関係がないらしい。
(⇒ J-CASTニュース 2023年6月9日記事: 「モデルに18歳未満」「過激ポーズや水着」指摘受け確認 埼玉県営公園での「プール撮影会」が会場都合で中止...一律禁止に)
(⇒ デイリースポーツ 2023年6月10日記事:中止の水着撮影会出演予定アイドル「悪の様に扱われていると感じた」「ただただ悔しい」)
さて、当然ながらと言うべきか――
こうなったことにつき、「グラビアモデルやコスプレイヤー、セクシー女優の晴れの舞台・仕事の場を奪うな」論を中心に、県や協会を批判する声の方が多数だろう。
あるいは「表現の自由」の抑圧、公園・公共プールという公共の場での自由な活動を禁止することについての批判もあるだろう。
しかし一方で、仮にも老若男女に開かれた公共の場で、女性が「自ら進んで」過激な露出とポーズをとるような大会を開くなんて、色んな意味で許しがたいことだ――そんなイベントは禁止して当然だ、という声もあるはずである。
もしこれが民営広場や民営プール・民営アミューズメントパークで行われるのであれば、文句を言われる筋合いはないはずだ――
と言いたいところだが、しかし実際にはこの手のイベントに、ディズニーランドとか民営大型アミューズメントパークが使用を認めることはないのだろう。
なぜなら民間企業には、イメージというものがあるからだ。
幕張メッセとかなら別として、この手の「いかがわしい」イベントがディズニーランドなどで開催されないということは、皮肉にもこの種のイベントを受け入れるのは「公共施設」だけだった、ということを示しているのではあるまいか。
そして世の中には、こういう民間企業が拒否するようなイベントの開催こそ公共施設が受け入れるべき、というような論も存在する。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
ところで私がこういうニュースを見ていつも思うのは、「その施設で働く人」の立場に立った論者がほぼいない、ということである。
今回の件で具体的に言えば、埼玉県公園緑地協会の職員さんのことであるが――
彼らが一握りの市民のクレームに屈した、共産党(別の政党でも議員でもいいが)の政治的圧力に屈した、
公共空間での市民・民間企業の表現の自由を抑圧し、グラドル・コスプレイヤー・セクシー女優の仕事の場を奪った、ファンの楽しみを奪った、などと批判するのは簡単である。
しかし、では、もしあなたが埼玉県公園緑地協会の職員だったらどうか。
「こんな公序良俗に反するいかがわしいイベントを許可するなんて」というクレームや批判に対応するのは、あなたである。
グラドルでもコスプレイヤーでもセクシー女優でもなく、撮影会を主催する民間企業でもそれに集まるファンでもなく、他ならぬあなたである。
そんなあなたの立場に立てば、こんなイベントは一律に禁止するのが当然ではあるまいか。
対応したからとて給料が増えるわけでもあるまいに、
それどころか精神的負担は莫大なものがあるというのに、
あなたがこんなイベントの開催を「擁護」する理由や動機はあるだろうか。
一介の労働者に「グラドルたちの活躍の場を守る」「公共空間における表現の自由を守る」なんて使命を課すなんて、バカげたほどに期待値が高い要求ではないか。
私がいつも思うのは――
公共空間での「萌え絵の掲示」とか「セクシー要素ありの撮影会」が批判を受けて撤去・中止に至ったとき、
その撤去・中止を決めた施設側を批判する人たちって、
じゃあ自分がその施設に勤めていたら、本当に表現の自由とかの護持のため闘士のごとく戦うのだろうかということである。
そんなことをあなたに要求するのは、高望みだと私は思う。
あなたに要求するのが高望みなら、他の誰に要求するのも高望みだと思う。
なんだかそれは、「戦場の兵士に無茶な要求を押し付けてくる、後方の安全地帯にいるバカ指導者」の振る舞いに似てはいまいか。
いや、それそのものではないか。
だったらオマエがクレームに対応してみろ、と思うのが普通の人間というものである。
おそらく今後、全国の――といってもこんなイベントが開かれるのは首都圏がほとんどだろうが――公共施設では、この手のイベントを「前もって」禁止する例が増えていくだろう。
誰がどう表現の自由とかグラドルの仕事の場とかの「ご高説」を垂れようと、現実のクレームに対応するのは彼らじゃないからである。
それが卑しむべき組織防衛だとか行き過ぎた萎縮だとか批判するのは簡単だが、同時にそれは「働く者を守るため」でもある。
実際にその施設で働いている人たちの立場に立たない「表現の自由」「職業の自由」論というのは、何の役にも立たない空論になる定めではあるまいか。