文春砲がまたやった――
と言うべきか、今度はあの広末涼子が不倫していた――しかも相手の45歳シェフも既婚の子持ちなので、ダブル不倫――とのスクープ記事を炸裂させた。
(⇒ 文春オンライン 2023年6月7日記事:“ベストマザー賞”広末涼子がミシュラン1つ星シェフとW不倫 美脚ショートパンツで”お店デート”の後に…)
私は芸能界や芸能人にサッパリ興味がないので、広末涼子が「かつてと変わらない圧倒的な透明感を持つママ女優」だと言われても、全然ピンと来ない。
こういう言い方は偏見かもしれないが――
そもそも芸能界に望んで入るという時点で「清純」でも「大人しい」でもなく、
平均をはるかに超えた「目立ちたがり」の「発展家」のはずだと思うのは、的外れな感覚だろうか。
「透明感がある」のではなく「透明感があるように見える、そのように演技するのが上手い」というのが正解だと思うのは、心がストレート過ぎるのだろうか、それともヒネクレ過ぎなのだろうか。
それにしても思うのは、3児の母である彼女が受賞しているベストマザー賞というものについてである。
この芸能界に興味のない私でさえ、その歴代受賞者のかなりの部分(半分くらい?)が受賞後に離婚したり不倫したりしているのは、耳に届いている。
離婚しようと不倫しようと子どもにとってベストマザーならそれでいい、
離婚しても不倫しても「良き母」であるのとは無関係だ……
と強弁することもできようが、しかし世間一般的にはそれが「ベスト」な母なのか、「日本最高」クラスの良き母なのかと問われれば、ほぼ全ての人が「そんなわけがない」と思うはずである。
これについて私がすぐ思いつくのは、歴代のノーベル平和賞受賞者たちだ。
ノーベル文学賞というのも「不要」と思えるが、しかし平和賞の方はその比ではない。
皆さんも改めて、歴代ノーベル平和賞の面々を確認して見るとよいと思うが――
まあ、何というか、なかなかのメンツが混じっていると思わずにいられないのではないか。
しかしベストマザー賞というのは、そのノーベル平和賞にさらに輪をかけてなかなかのメンツが揃っていると思うのだ。
もう世の中の多くの人は、誰かがベストマザー賞に選ばれればそれは「離婚」か「不倫」のフラグが立ったくらいに思っているのではないか。
それこそ週刊文春のようなメディアは、ベストマザー賞に選ばれた人をマークするよう不文の内規で決まっているのではないか。
しかしまぁ世間の人って、いったいいつまで(特に芸能人の)透明感や清潔感なるものに、幸せに騙され続けるのだろうか……