プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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安倍氏国葬-国葬はこれで最後の方がいい

 9月28日、暗殺された安倍晋三・元首相の国葬日本武道館で行われた。

 そしてこの国葬で(与党側で)株を上げたのは、友人代表として「心に染みる」弔辞を読んだ菅義偉・前首相だけだったようだ。

 私はと言えば黙祷もせず中継も見ず、思いを馳せることもなく、ただいつもどおり仕事し生活していた。

 これは、圧倒的大多数の日本国民がそうだったはずである。

 ところでこの国葬には、例によって反対する人が多くいた。

 それも当然で、政治家にしろ誰にしろ、百パーセントの国民に支持され悼まれるなんてことはない。

 それなのに国民から集めた税金で葬儀をするとなったら、反対が出て当たり前だ。

 即ちこれは、もう政治家にせよノーベル賞受賞者にせよ、国葬するのはこれで最後にした方がいいということを意味していまいか。

 どうせ「全国民(全納税者)が挙って弔意を持っている」なんてことは、絶対にありえないからである。

 むろん「全員が同意していなければ実施してはならない」ということになれば、政府も会社も(あなたも)何もできはしない。

 しかし国葬というのは、やらなければやらなくていいことである。

 だったら国としてやらずに、有志一同で(自民党で)やればいいのではないか。

 それに、思うに、皇族が死去したからと言って今回のような国葬をやるわけではない。 

 なのに元総理大臣が凶弾に倒れたからやるというのは、いささか分際を超えたことだと(特に右派の人は)思わないだろうか。

 
 百パーセントの人に支持され、悼まれる人はいない。

 それは政治家も国民栄誉賞受賞者も、私もあなたもあなたの家族も同じである。

 圧倒的大多数の人は、そんなことには無関心なのだ。

 これを「悲しい分断」と言うならそうかもしれないが、しかし世の中の厳然たる真の姿ではある。

 さすがに天皇の葬儀となると話は別かもしれないが――

 それ以外の場合はもう、国費を使う国葬はこれで打ち止めにした方がいいのではないか。

 万人に(納税者全員に)悼まれる人間はいない、というのは、明白な真実なのだから……