10月3日、岸田首相は所信表明演説において――
「個人のリスキリング(学び直し)支援のため、今後5年間で1兆円を投入する」
方針であることを表明した。
(⇒ NHK 2022年10月3日記事:岸田首相が所信表明 学び直し支援 5年間で1兆円投入)
リスキリングとは、最近よく聞く言葉である。
そしてそれよりもよく聞くのは、「日本人は社会人になって、世界で最も学ばない=勉強しない」国民である、という話だろう。
これは「日本人は学ばない」と入力して検索すればいくらでも記事が出てくる話であるので、あえて関連記事を引用はしない。
こういう調査がどこまで正確なのか私にはわからないが、しかし私は(そしてあなたも)「さもあらん」と思うのは思う。
なぜなら日本人には、「勉強するのは恥」という道徳観があるのを知っているからである。
この普遍的な道徳観に気づかない日本人がいるとは、あなたもとても思えないだろう。
あなたはほぼ間違いなく、こんな道徳観・価値観に囲まれて生きてきたはずだからだ。
勉強するのは、恥である。
勉強していると人に知られるのは、恥辱である。
この道徳観は、特に男性が強く持っていると思われる。
自分が真面目に勉強しているなどと(何かに真面目に取り組んでいるなどと)身近な人に知られるのは、ほとんど男の沽券にかかわることと言っても大げさではない。
こういう反知性的な道徳観がどのように日本に生まれ、定着してきたのかには、社会学者が束になって研究すべきほど複合的な要因があるのだろう。
が、おそらくその根底には、「出る杭は打たれる」即ち「出る杭は打つのが正しい、和を乱すから、平等を乱すから」という、あまりにも有名な日本人の道徳観があるのだと思われる。
「自分だけ」真面目に頑張って上に行こうとするのは、日本人にとって許されざる大罪――
そんなのは罵倒して然るべきなのだ。
よって今回の「学び直しに1兆円を投じる」というのも、どうも壮大な無駄遣いになりそうな予感プンプンである。
それは岸田首相が的外れだとか、国の税金の使い方が下手だとか言うのではなく、受け取る日本人の方がそれに応えないからである。
日本男子たるもの、勉強するなんて恥辱と反道徳を(そして楽しくもないメンドクサイことを)、どうしておめおめと国の口車に乗せられて犯せようか……
というのが、大多数の日本人男性の無告の声ではなかろうか。