2月3日、岸田首相の男性秘書官が、同性婚制度の導入について記者団にオフレコで――
「同性愛者なんか、隣に住んでいるのも嫌。見るのも嫌」
「社会が変わる。社会に与える影響が大きい」
「こんなことを認めたら国を捨てる人が出てくる」
と語ったのがオフレコを破って報道され、本人はもちろん更迭、岸田政権にもまた打撃となった。
このオフレコ破りというのは引っかかるが、相手が「この話はオフレコで」と言えば素直に全部オフレコにするというのも、ジャーナリストとしてはどうかと思うことではある。
だがそれはともかく、更迭されるのは当然のことであった。
これがドイツの首相秘書官が「ユダヤ人なんか隣に住んでいるのも嫌、見るのも嫌」とか言ってたとすれば、凄まじい炎上になっていただろう。
そして私がこの秘書官の言葉で「いやいや、それは違うだろう」と思うのは、同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる、という一言である。
これは話が逆で、同性婚を認めない人が国を出て行くのではなく――自分の方が出て行くわけない――、同性愛者を国から追い出しにかかる、日本から出て行けと言うようになる、というのが正しいのではなかろうか。
さて、この件については当然ながら、国民から多くの批判が寄せられているわけだが――
その中で、
「こんな発言が出てくること自体が時代錯誤」
「政権が国民の意識に追いついてない」
「もうすぐ広島サミットがあるのに、議長国の資格を問われる」
「G7(先進7か国)の中で同性婚を認めてないのは日本だけ」
というのがある。
私としては、同性婚を認めるなら近親婚や重婚も認めるべきではないか、
お互いの愛があるなら認めるべきだというのなら近親婚や重婚もそうではないか、
同性婚が良くてそれらはダメというのは理屈が成り立たないのではないか、という疑問がある。
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しかし、それらは措くとして……
今回思うのは、かつて福沢諭吉が言った「脱亜入欧」というのは、この21世紀の日本でこそ「正しくなった」のではないか、ということである。
脱亜入欧。それは近年まで、極めて評判が悪い言葉だった。
例の「我はアジアの悪友を謝絶するものなり」との物言いは、日本人のアジア蔑視の先駆でありゴーサインだったとされる。
その反省として、しばしば「アジアと共に生きる」なんて言い方がされてきたものだ。
しかし、今回の事件で明らかになったのは――
やっぱり日本人は依然として、もしかすると明治の鹿鳴館時代よりさらに強く、脱亜入欧を正しいと思っている、ということではなかろうか。
G7とは要するに、「欧米列強クラブ」である。
日本はその中の特別会員みたいなもので、その意味で脱亜入欧は達成されている。
そのG7欧米列強クラブ会員の体面を保つためには、チョンマゲも正装としての和服も捨てて、洋服を着て鹿鳴館でダンスを踊らなければならない。
そうでなければ恥ずかしく、時代錯誤である。
一言で言うと、欧米の価値観に合わせなければならない。それが正しい――
ということではないか?
同性婚・同性愛者への嫌悪を表するのが時代錯誤で人権意識失格だというなら、たとえば同じアジアのインドネシアはどうか。
インドネシアでは昨年12月、「国内で結婚相手以外との性交渉を犯罪とする」刑法改正案が国会で可決された。
言うまでもなく、同性婚は認められていない。
同性婚やLGBTQへの反発は強く、同じ昨年12月にはアメリカからの「LGBTQ特使」の訪問が(身の危険があるからと)キャンセルされる事態も生じた。
今回の首相秘書官や岸田政権がボロクソ言われるなら、
インドネシア国もそれを支持するインドネシア国民も、時代錯誤のクソ国家のクソ国民と指弾しなくてはならないだろう。
またその背景にあるイスラム教についても、どうしようもない時代錯誤のダメ宗教だと指弾しなくてはならないだろう。
しかし、なぜかそうはならないのである。
まあ、ぶっちゃけて言えば、イスラムを批判するのは差別や偏見と言われてしまうからコワくてできないのだろうが……(笑)
このようにアジアでは、同性婚を認めている国なんて寥寥たるものである。
しかし日本人にとっては、そんなものは――「遅れた」アジアなんかは――眼中にない。
アジアと共に生きる気なんてサラサラなく、「まともな」欧米だけが世界である。
欧米の価値観だけがまともであって、東アジアも南アジアも西アジアも、それに比べりゃロクな価値観なんて持ってやしない。
端的に言えば、世界とはG7とその他ヨーロッパ諸国のことである……
というのが、今の日本人の普通の考えではないだろうか。
たぶんこのままいくと、あの「捕鯨」というものについても、日本では捕鯨禁止派がついに勝利を収めることになるだろう。
まだ日本人がイマイチ乗り切れない「文化盗用」という概念についても、それが欧米の先進概念だというだけで正しい道徳となる日が来るだろう。
いや、今でこそ正しくなったと言うべきか。
日本はアジアと生きるのではなく、G7と共に生きるのが正しい。
それがまともな国というものだ――
もっとも、日本がいつまでG7の中にいられるのか、怪しくなっている昨今ではあるが……