4月2日、日本を代表する音楽家の一人(そしてたぶんその頂点)である坂本龍一が、3月28日に病死していたことが公表された。享年71歳。
がん治療中でステージ4であり、死の数日前には「つらい、もう逝かせてくれ」と漏らすほどの激痛の中の死であったようだ。
あの「教授」が――と、いたたまれない思いになるのが普通の人だろう。
現代の基準ではまだ若い71歳、残念である。
さて、坂本龍一と言えばYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)であり、名曲『ライディーン』である。
しかし私にとっては何と言っても、1987年公開の映画『ラストエンペラー』の音楽だ。
これは天下の名曲であって、あのラストエンペラー溥儀は、この曲が追悼曲みたいになって今後も伝えられていくことになった一事だけでも、至上最も恵まれた中国皇帝と言えるかもしれない。
(本人には異論があろうが……)
実際坂本龍一はこの映画音楽で1988年米アカデミー作曲賞を、そして米音楽界で最高栄誉とされるグラミー賞をも、日本人で初めて受賞している。
ライディーンにせよラストエンペラーにせよ(そして『戦場のメリークリスマス』にせよ)、今でも愛聴したり脳内再生している人は、何百万人もいるだろう。
もっとも中には、彼が反戦はともかく反原発を強く主張し、「たかが電気のために死んでもいいのか」とか言っていたことをバカ扱いする人もいるだろう。
(最晩年となった先月でさえ、明治神宮再開発での樹木伐採に反対する手紙を小池都知事に送っている。)
しかしこういうこと――ニュートンが実は錬金術を本気で研究していたとかいうことはままあることであって、音楽などの「才能」と「個人の意見・感想」とは、全く別個のものである。
音楽家が政治的意見・感想を持ってはいけない、表明してはいけないなどということはないのであって――
表明はともかく、持つこと自体は誰にも止められることではない。
逆に言うと、音楽の天才や会社経営の天才がどんな意見を持とうと、それだからその意見が正しいということには全然ならない。
そこは単に他の人間と同じく、一人の意見というだけである。
それはともかく坂本龍一の音楽は、人間社会が続く限り聴かれ続けることになるだろう。
虎は死して皮を残し、音楽家は死して音楽を残す。