東京・銀座で開催予定の着物イベント「銀座今昔きもの大市」のポスター少女イラストで、その少女の着ている着物が左前になっている――
これが「左前は死に装束」だろ、とネット上では結構な数の批判が寄せられている。
これに対してイベント運営会社は、「着物はもっと自由でいいと思っている。ポスターはイメージで、深い意味はない」と取材に答えている。
ヤフーコメント欄では「これは開き直り」「着物を扱う会社が着物を大事にしないでいいのか」など、確かにコメントのほとんど全てが批判一色であるようだ。
これは、かなり珍しいことである。
ロシアのウクライナ侵攻なんて話題でさえ、もう少し(ロシア側への)擁護コメントがあるものだ。
(⇒ J-CASTニュース 2023年4月20日記事:着物イベントの「左前」ポスターが物議 「死に装束」指摘も...制作元は修正否定「ファッションに決まりない」)
さて、私は思うのだが――
「着物を左前に着ることは死に装束だから、そんな着方をさせるのは非常識」
というのは、日本人にとってそんなに一般的な知識だろうか。
もしかしたら日本人の9割は、そんなこと知らないのではあるまいか。
知っていたとしても、「左前」とは「着物の右側が上にくる(前になる)」ことであって――
つまり着ている人自身ではなく、その着ている人を「正面から見て、左が前になる」ことである、と知っている人がどれほどいるだろうか。
(要するに、男の服のボタン付き洋服の着方が「正しい」のだ。)
そしてまた、そんなこと本当に気にする人が、世の中に何人いるのだろうか。
もしかしたらこの話題でヤフコメに批判コメントを寄せている人が、その全てではあるまいか。
私にはこれ、「ど~だっていいじゃね~か」と思えるのである。
イベント運営会社の「着物はもっと自由でいい、ポスターはイメージであって深い意味はない」というのが、実にまっとうな意見だと思うのである。
いったい皆さんはこんなこと気にしながら、世にあふれるポスターだのイラストだのを見ているのだろうか。
そしてまた、日ごろ「マナー講師」「謎マナールール」を事あるごとに叩きまくって嘲笑しているコメント者たちは、どこへ行ってしまったのだろうか(笑)
古代中国では、「左前」は北方異民族の習俗であった。
古代中国人は、それを卑しんで「右前」で着るようになった。
律令時代の日本は、それを取り入れて「右前」で着るように政府が命じた。
なんとなんと、それがこの2023年の日本でも、今回のニュースのように継続している。
このスゴい伝統墨守ぶりは、いったい何なのだろう。
こんなことを墨守していったい何になるのだろうか、古代中国人か、と思うのは不謹慎なのだろうか。
それにしても思うのは、こんなことでさえ総叩き・炎上状態になってしまうのなら、そりゃあ普通の人間は委縮して「冒険」なんてしないだろうな、ということである。
マナー講師も謎マナーも存続するのは無理もなく、それを支えているのは名もなき庶民たちだという感慨である。
たかが着物を左前に着せる(描く)だけで、この有様――
世界中のファッションショーでは(日本のファッションショーでも)「誰がこんなものを着て街を歩くのか」と思うような奇想天外・奇矯な服装が横行して誰も何も言わないというのに……
こんなことで着物に対するリスペクトがない、なんて非難されては、たまったものではない。
新日本プロレスのオーナーである木谷ブシロード会長の名言「全てのジャンルはマニアが潰す」というのは、つくづく正鵠を射ている。
もしかしたら、例の「丙午(ひのえうま)」という伝統、「その年に生まれた女の子は気性が激しくて夫を食い殺すようになる」とかいう迷信中の迷信も、信じる人・大切にすべきだという人は想像以上に多いのだろうか。
着物にせよ世界中の伝統衣装にせよ、それを多少アレンジして着るくらい自由じゃねぇかと普通に思うし、実際普通に行われていると思うのだが……