3月27日、第94回アカデミー賞の会場で――
主演男優賞にノミネートされたウィル・スミスが、プレゼンターである「コメディアン」クリス・ロックという人に平手打ちを食らわした。
同席したスミスの妻が脱毛症で悩んでいるというのに、それを「GIジェーン“2”ですね!」とからかわれ、激怒したものだという。
当然ながら、会場は静まりかえった。
なおスミスはその直後に主演男優賞を受賞し、そのスピーチで「アカデミーに謝りたい。賞の候補者全員に謝りたい」と謝罪したとのこと。
(⇒ ロイター 2022年3月28日記事:W・スミスがプレゼンターに平手打ち、侮辱に激怒 米アカデミー賞)
さて、このビンタされたクリス・ロックというコメディアンについて、私は何一つ知らない。
これは日本人ならほとんど誰でもそうであって、たいていの日本人はアメリカ芸能界のことなど何一つ知らないのが普通だろう。
(これは、コメディアンやお笑い芸人、いや芸能界というもの自体が、世界的に見れば意外とローカル産業であることを示しているのかもしれない。)
しかしどうやらこの人には「前科」があるようで、2016年には受賞者全員が白人だったことをからかう一方、アジア人への差別的見方をも示したことがあったという。
ここで不思議なのは、そういう前科があって「髪のない女性をGIジェーンだとからかう」といういわゆる「容姿イジリ」をする人を、なぜ「人種差別とあらゆる差別に絶対反対」を掲げる米アカデミー賞はわざわざプレゼンターに起用するのか、ということである。
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もしかして、とは思うのだが、これはクリス・ロックが黒人だからなのだろうか。
黒人にはまだ、こんな「芸風」のコメディアンとして活躍できる余地が残されているのだろうか。
私にはこれ、とても白人コメディアンが採用して生きていける芸風ではないという気がするのだが。
(そして今回の件は、人種的に見れば「黒人が黒人をビンタした」ということになる。)
それにしてもアメリカと言えば、世界一「差別に厳しい」国であるはずで――
時にそれは、病的だとされるほどだと言われる。
そのアメリカにして、まだ「容姿イジリ」や「アジア人差別(暗示)トーク」を芸風として生きていける……
それどころかアカデミー賞のプレゼンターに呼ばれるほど活躍できるコメディアンがいるというのは、なんだかますますアメリカという国がわからなくなってくるではないか。
そしてもう一つ――
今回のウィル・スミスのビンタに対する世間の(少なくともネットの)反応は、これこそまさに「共感の嵐」とメディアが書くべき様子ではなかろうか。
これで我々には、心にメモすることが一つできたわけだ。
つまり世の中には、
「素晴らしい暴力」
「絶賛される暴力」
「容認される暴力」
「無理もない暴力」
「株を上げる暴力」
「当然の暴力」
「愛と正義の暴力」
がある、ということである。
もちろんウィル・スミスには、この後のスピーチで「言論をもって」プレゼンターへの怒りを表明することもできたろう。
しかしスミスが受賞するとはわからなかったのであるから、後でスピーチすればいいということにもならない。
いや、何よりもスミスがそんな判断をすること自体が、平手打ち暴力を決行することよりはるかに人々の共感を呼ばないに違いない。
そして誰よりもスミスの妻は、夫が平手打ちを決行したこと(それもアカデミー賞の場で)以上の感激を、スミスが言論で反撃することで得ることができるだろうか。
私が妻だったら、こういうとき夫が暴力に訴えてくれることほど感激することはないだろう。
教訓――
人間には、暴力を振るうべき時がある。
この世には、「正しい暴力」が存在する。
どんな暴力にも絶対反対だという人は、これにどう反論すべきだろうか。
それにはまず何よりも、こんなことをしたウィル・スミスを指弾しなければならないわけだが――
それは非常に、極めて難しいことではなかろうか。