島根県松江市にある道の駅「秋鹿なぎさ公園」に、段ボール製の授乳室が設置された。
私は全然知らなかったが、国土交通省は全国の道の駅のベビーコーナー設置率を、2025年までに50%以上にしようとしているらしい。
そこで日本道路建設業協会が――いかにも国土交通省に呼応しそうな団体ではある――、今年から全国50の道の駅に段ボール授乳室を寄贈することになったとのこと。
ところが、大分県の道の駅から設置が始まった途端、SNSなどで批判が相次いだらしい。
(つまり、松江市の例が初めてではないということ。)
(⇒ BSS山陰放送 2023年9月21日記事:道の駅に「段ボール授乳室」…SNSで批判相次ぐ「女性の羞恥や恐怖に無頓着過ぎる」 問題はどこに?)
これはまさに、善意が仇となった典型例だろう。
日本道路建設業協会という団体って、国土交通省の方針に賛同・協力・追従するのが当然だろう……
という皮肉な見方は措いておくとして、それでもいちおう善意である。
また、「不安に思う授乳者(お母さん)の気持ちがわかってない」と言ったって、さすがに女性やお母さんたちの意見を全然聞いていないと言うこともないだろう。
それどころか、開発スタッフの中にもちゃんと(現に授乳中ではないにしても)授乳経験者の女性は入っているのではないだろうか。
また、物品自体として見たときも、コストは安そうだし軽くて設置も容易だろうし、大量設置にはうってつけのスグレモノだと私は思う。
しかしやはり、致命的な欠点があるのである。
それは、段ボール製と聞いただけで人は、
「チャチ」 「安っぽい」 「粗末」 「バカにしてる」
などと反射的に思ってしまう点だ。
プロレスの世界にも「ダンボール製のチャンピオンベルト」というのがあるが、むろんそれはおふざけ用のベルトである。
段ボール業界の人には、実に悔しいことだろうが――
これはもう、動かずべからざる人間の心というものなのだ。
しかも世の中には、特にSNSの世界には、ちょっとでもカチンと・ピンと・モヤッとくれば襲いかかってやろうとウの目タカの目で待ち構えている群狼がウヨウヨいるのである。
(なんかこの件、昆虫食の話題に似ていると思われないだろうか。)
よって、たとえ善意だろうと熱意があろうと、コスパが良かろうと便利だろうと、とにかくダンボールで授乳室を作ろうなどとすべきでなかった。(災害用には別として――)
また、寄贈を受けるべきでもなかった。
だがこれは、とりわけ「寄贈を受けるべきでなかった」なんて、言うは易く行うは難いことである。
せっかく寄贈してくれるというものを「ダンボール製なんて批判を受けるに決まってるから受けられません」なんて、誰がハッキリ言うことができよう。
あなただって「えーダンボール? そんなの評判悪いに決まってる」と直感的に思ったとしても、それでも断れないのではないだろうか。
おそらく、これがダンボールでなくてコンパネであっても、やはり不安だとか安っぽいとか批判されただろう。
そうなると新たに授乳室を設けようとすれば、道の駅の建物の端っこに増築するしかないのではないか。
これはもちろん、高コストなことである。すぐにはできないことである。
しかし、「批判を避けようとすれば高コストになる」というのは、もはや現代日本の通例(通弊?)というものだ。
我々は、そういう現代日本という国に住んでいるのであって――
そんなことだから世界に遅れる、高額な税金がジャブジャブ使われる、なんてことは二の次の国民感情の中に生きている。
今回の件の教訓としては、とにかくダンボールで「部屋」を作るな、設置するな、そうすれば必ず批判されるから……
という、実に平凡でストレートな結論に落ち着きそうである。