プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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岸田首相「女性ならでは」発言は明らかにマスコミのせい

 岸田首相の今回の内閣改造で5人の女性が起用されたことにつき、岸田首相自身は「女性ならでは」の感性と共感力を十分に発揮してほしい、と述べた。

 これについて案の定、「批判が殺到」である。

 典型的な報道例は、南日本新聞のもので――

●鹿児島県民からは「性別によるイメージを押しつけている」と疑問の声が上がっている。

●一方、批判に「ぴんと来なかった」と“自戒”する人もいる。

ジェンダー専門家は「社会の性別役割分担意識を助長する恐れがある」と問題視する。

 という風に、100%この発言は問題で悪だという書き方である。

(⇒ 南日本新聞 2023年9月15日記事:「男性ならではの感性…逆にある?」 岸田首相発言に疑問の声 専門家「無意識の偏見を拡散」)


 しかし、私は岸田首相を弁護する立場ではないが、ハッキリ言えることがある。

 岸田首相をはじめ世の中の男女が、つい「女性ならではの感性」などと言ってしまうのは、100%マスコミのせいであると。

 なぜなら、皆さんも必ずやご記憶だろうが――

 本当につい最近まで、新聞・雑誌でもテレビでも、「女性ならではの感性を生かして」なんてフレーズは腐るほど繰り返されてきたからである。

 それは確かに、岸田首相も市井の人たちも、知らずのうちに頭の中に刷り込まれてしまうほどの頻度であった。

 ついこんな言葉が口をついて出てきても、それは責められることだろうか。

 しかし新聞もテレビも、この数年でアッと言う間に手のひらを返して「こんな発言は100%悪い」に宗旨替えである。

 新聞社にも「女性の感性を生かして」と書いてきた人は何人も残っているし、

 テレビ局にもそんなセリフの台本を書いた人やナレーションをしてきたアナウンサーは何人も残っている。

 なのに彼ら彼女らが公開の場で「反省」することは全くなく、
 
 ジェンダー専門家もそのときは何ら「問題視する」発言をすることもなく――コメントを求められなかったからだと言うかもしれないが――、

 自分たちのつい最近までの「刷り込み行為」には触れることがない。

 これはまるで、「戦前戦中は戦争・国粋主義礼賛だったのが、敗戦後は一転してそれらを糾弾する側に回った」某新聞社・出版社らの態度そのまんまである。

 これだからマスコミじゃなくマスゴミなんて言われるんだ、と言われても仕方ないだろう。


 ところでそれとは別に、「女性ならではの感性と共感力」を活かすというのが「悪の言葉」なら――

「女性の視点を取り入れて」

「妊婦さんの視点を取り入れて」

 なんて言葉も悪の言葉にならないだろうか。

 もう今の世の中は、性別に言及すること、性別があるということ自体に触れるのが、リスクの時代のようである。

 いまや、男女の見方には違いがある――なんて言うだけでも、ジェンダー警察に摘発されるおそれがある。

 これは、野性時代ならぬ「無性時代」とでも言うべきか……

 どうやら一般市民も、マスコミや言論人が少しでも「男女の違い」に触れたときには猛烈に叩く、という心構えを持たねばならぬ時代になったようである。