1月1日に発生した能登半島地震は、今のところ200名を超える死者を出している。
今回の地震は、能登半島においては数千年に1度の規模と言われている。
その1度が2024年1月1日だったのだから、これは不運としか言いようがない。
平地には大きな段差・隆起・陥没が生じ、港は海底隆起によって海岸線が海へ伸びたことで使えなくなる。
被災者が「もうここには住めない」と嘆くのも当然である。
ところで今回の大地震の特徴の一つと言えば、能登半島というのが日本有数の高齢化率(65歳以上の率)が高い地域だった、ということだろう。
被害の酷かった珠洲市などは、市全体で高齢化率51%。
集落や地域ごとに見れば、高齢化率70%台というのも珍しくないらしい。
日本は既に「超高齢化社会」(高齢化率21%超)に入っているのは誰でも知っているが、それが70%とかになると、私としては「重度高齢化社会」とでも呼びたいところだ。
そして、どんなに心優しい人も――
そんな重度高齢化社会・重度高齢化地域であれば、今回のような大地震がなくてもほどなく消滅するに違いない、と誰でも思うはずである。
さて、端的に言うが……
日本はそのような重度高齢化地域が大災害で大被害を受けたとき、復興を目指すべきだろうか。
また道路を直し、水道と電気の供給網を再建し、沖に伸びた海岸線へ新たに港を作り(防波堤一式も全く新規に作り直し)、住環境と産業基盤を復活させるべきだろうか。
「誰でも」というわけではないが、圧倒的多くの人がこれには否と言うと思う。
ただでさえ大幅な人口減少が確定的な現代では、「ポツンと一軒家」なんてもはや許されず、集住してのコンパクトシティ化を促進するしか――そうやってインフラ整備費を削減するしか――日本の生きる道はない、と思っている人がたぶん大多数である。
そうなるともう、能登半島の大部分は「これを機会に」復興なんて最初から目指さずに移住・集住のモデル地区となすべきだ……という風にならざるを得ない。
そしてこれは、今後の日本列島の大部分のモデル地区であり先駆けということにもなるだろう。
なぜなら言うまでもなく、日本列島のかなりの部分が重度高齢化地域になるのは確定的だからである。
南海トラフ巨大地震を筆頭に、第二次関東大震災・富士山噴火・阿蘇山噴火などなどの大災害がいずれやってくるのは、それこそ確定的だからである。
大都市部なら多額の費用を投じて復興させる価値やコスパがあるが、過疎地ではむろんそうではない。
これは誰の目にも明らかな、冷厳たる事実である。
いや、たとえ大災害がなくてもどのみち重度高齢化から自然消滅に至るに決まっている全国津々浦々の地域に、カネを投じる意味もコスパもあるわけがない。
それこそ「民間の経営感覚」で言えば、そんなことは悪手であり犯罪的でさえある。
そんなことをする経営陣は、株主たちから経営責任を果たしてないとか背任だとか、厳しく指弾されるだろう。
(もっとも、そうする前に株を売ってオサラバだろうが……)
私は個人的には、いま日本各地に散在する膨大な数の限界集落・準限界集落がほとんど消滅してしまったとしても、それはやむを得ない(というか、どうしようもない)ことだと思っている。
考えてみれば、「江戸時代には人が住んでいたが、今は無人」の集落跡地なんて日本にいくらでもあるはずである。
しかし現代の我々は、そのことを残念にも悲しくも思っていない。
だから今ある集落が消えたとて、未来の日本人にはそんなことどうでもいいのは請け合ってもいいだろう。
ただ、国防上の理由とか国土保全の観点から、やはり無人地域を増やすことは防ぐべきだ――という考えもあろう。
だが、じゃあどうやって人口減少の只中で重度高齢化地域の人口を増やしていくのか、というのはとてつもない難題である。
これについていちおう個人的な案を出しておくと、逆説的ではあるが――
「人付き合いが嫌いな人・人間関係をできるだけ持ちたくない人」を募って移住してもらうくらいしかないのではないか。
無人に近くなった集落の中に、そういった人たちが適度な距離を保って住む。
そうすれば、最低限のインフラを整備・保持しておく理由は何とか立つだろう。
仕事はリモートワークか農林業か、もしくは国からの委託の「国土保全業務」である。
もちろん買い物はネット通販か車で買い出し、近くに病院も塾もあるわけはない。
もし子どもがいれば、学校さえも「ネットで通う」ことでいいようにする必要もあるだろう。
しかし最初からそれを承知で(それだけ人嫌いの故に)移住してくるのだから、それはそれでいいのではないか。
もし我々が「そんなのは嫌だ」と意見が一致するのであれば、じゃあ重度高齢化地域の消滅はそのまま受け入れるべきである。
繰り返しになるが、確かに今回の能登半島地震は、今後の日本の現・過疎地域のリーディングケースになるだろう。
少なくとも、これまで日本の「戦略的縮小」を提言してきた人たちは、能登半島の人口的縮小すなわち「復興を目指さない」ことを支持する義務めいたものがあるはずである。
逆に「決して見捨てない・諦めない」という立場の人たちは、いずれ消滅する地域にそんなことしてコスパに合うのか、無駄じゃないのかという(もっともな)批判に直面する義務があるだろう――