プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「松本人志事件」スピードワゴン小沢一敬も活動自粛-なぜ女と遊びたいのか、の根本問題

 1月13日、芸能事務所ホリプロコム公式サイトは、所属お笑いコンビ「スピードワゴン」の小沢一敬(50歳)が当面芸能活動を自粛することを発表した。

 これはもちろん例の「松本人志(性加害疑惑)事件」の一環で、スピードワゴン小沢はその(性行為を目的として行われたという)飲み会のセッティングに携わっていたと文春砲で報じられている。

 本ブログの先日の記事では、松本人志がいずれ提起するという週刊文春との裁判は、アメリカのO・J・シンプソン裁判のごとき「国民的裁判」になるだろうか――

 と書いておいたが、しかし松本人志の活動休止に続いてすぐさまこの有様では、裁判が始まる前からもう負けているという印象を禁じ得ない。

(⇒ 2024年1月8日記事:文春砲vs超大物芸能人-ダウンタウン松本人志の活動休止)


 と言っても、疑惑が真実であろうとなかろうと、こんなことが報道された以上は芸能活動を継続できないというのは変わらなかったと言えると思う。

 「性加害疑惑」「性加害協力・幇助疑惑」なんかが報じられてしまえば、むろんテレビ・ラジオなど“公的”メディアも芸能事務所も、そんな人物を使うわけにはいかないのだ。

 私はこれをやむを得ぬこと・自然なことだとは思うが、しかし当然のこととは思わない。

 「事実であろうとなかろうと疑われたら終わり」というのは、まるでスターリン時代である。

 これをコンプライアンスがどうとか世論がどうとか言って「積極的に肯定」なんかすれば、世は暗黒時代だろう。

(しかし案外スターリン時代のロシア人でも、そういう状況を「いいこと」「しょうがないこと」「それが世の中」と思っていた人は多い気がする。)


 さて、真実は(いずれ行なわれるはずの)裁判で明らかになるとして――

 私がつくづく思うのは、いったい男性芸能人というのは――それも松本人志ほどの超大物・大御所でも――、なぜそんなに女と遊びたがる(遊ぶ、というのには無論いろんな意味がある)のか、ということである。

 私はそもそも酒が飲めないということもあるが、一夜の火遊び的セックス目的で女性を集めて飲み会を開こうなんて、それに出席したいなんて、全く夢にも思わない。

 それどころか、特に女性たちと一緒に何かの遊びをしようなどとも思わない。

 一言で言えば、そういうことに価値を感じられないのである。

 そして男性芸能人の中にも、そういう人はそんなに少なくないと思う。

 それなのに飲み会に参加するだの、それのセッティングをしなければならないだのは、やはりあの諸悪の根源――即ち「上下関係」というものが原因ではあるまいか。

 人間には上下がある、立場には上下がある。

 大物や大御所には「配慮」しなくてはならない、彼の言うことには逆らえない。

 そういうことが現実であり自然現象であるので仕方ない――というのではなく、それが美しいとかそうあるべきだなどという道徳になっているのが、まさに諸悪の根源ではないか。

 私は、お笑い芸人が人の心を掴む達人だとかコミュニケーションの巧者だとか、一言で言えば「頓智が効くから」という理由で一般企業の研修会の講師になったりしているのに、かなり疑念を持っている。

 何のことはない、彼らもまた(ハッキリ言えば一般企業以上の)上下関係ヒエラルキーの中で生きており、しかもそれが至上道徳になっている世界で生きているのではないか、と思わずにいられないからだ。


 それは話が膨らみ過ぎとして、もっと卑近なことを言うと――

 やはりテレビ局もその他メディアも、今まで以上に「遊びがない」言い換えると「プライベートは面白くない」男性芸能人を重宝せざるを得ないと思われる。

 酒も飲まず飲み会もやらず、女遊びは一切しない。

 かつてなら「大物芸能人」とその取り巻きから軽蔑されていたかもしれない、そういう芸能人こそが最も求められる無リスク芸能人ではないか。

 それにしても人は――男のかなりの部分は――いったいなぜ、結婚する気が初めから全くない女と遊びたがるのか。セックスまでもしたがるのか。 

 いやしかし、どうも現代では、そういうことに価値を全く感じない若い男性も増えているやに伝えられている。

 芸能界もお笑い芸人界もまた、次第にそういう男性たちに置き換えられていくだろうから……

 それはそれで、今回のような疑惑が激減することが期待できそうだ。