そのハスブロ社はこのたび、有名映画『トイ・ストーリー』にも登場した玩具ブランド「ミスター・ポテトヘッド」を、「ミスター」を取り除いた「ポテトヘッド」に改名すると発表した。
なぜなら、ハスブロ社は性別をことさら区別しない「ジェンダー・ニュートラル」を目指すから、とのこと。
これについてダウンタウンの松本人志は2月28日、フジテレビの番組「ワイドナショー」の中で――
●マジか!
●ジェンダー(レス)に対して反対勢力がいないから、こっちを立てておいたら、優等生的なポイントも上がるよねってなっているのが嫌なんですけどね
と述べた。
(⇒ スポニチアネックス 2021年2月28日記事:松本人志「マジか!」 玩具ブランドのジェンダーレスの動きに驚き)
おそらく日本人の大部分は、この松本人志の言葉に「共感」するのではないか。
今の世の中のジェンダーレスへの適応は、「やり過ぎ」だと感じているのではないか。
しかしもちろん、これだけ芸能人の言動に「共感広がる」という記事が氾濫するネット界でも、こういう松本人志の見解に「共感広がる」とは絶対書かない。
そんなことしたら、世にも恐ろしい袋叩きに遭うのが目に見えているからである。
さて、これについて私には、かねてから感じていることがある。
それは、日本において採り上げられるジェンダーレスの話題や事例について――
なぜ「男から女に変わった」人だけ採り上げられて、
その逆の「女から男に変わった」人は滅多に、そして僅少にしか採り上げられないのか、ということである。
また、なぜ「男から女に変わった」芸能人は盛りだくさんなほどいるのに、
その逆の「女から男に変わった」芸能人は全然いないのか、ということである。
あなたはこれを、不思議に思わないだろうか。
いま日本で「ジェンダーレス」を冠されて紹介される人物は、ほぼ全て「男から女に変わった」人である。
なぜ芸能界には・テレビにはそんな人が溢れているのに、その逆の人を見ることは絶無なのか。
さらに思う――
「ガチのゲイ」を標榜・公開する芸能人は多いのに、「ガチのレズ」を名乗る芸能人がこれまた皆無なのはなぜなのか。
たとえばプロレス界には、「ガチのゲイ」レスラーが存在する。
しかし、「ガチのレズ」レスラーは一人もいない。(はずである。私が知らないだけだったら、ご容赦を)
またプロレス界には、「ジェンダーレス」レスラーが存在する。
しかし彼女(彼?)もまた、「男から女に変わった」人である。
「女から男に変わった」レスラーは、まだいないはずなのだ。
「何でもあり」のプロレス界にして、これである。
これはもう、「男から女に変わった人」の方が「女から男に変わった人」より絶対数が多いから、などという単純な推測では済まないだろう。
(だいたい、それが本当のことなのかもわからないし……)
要約すると、日本では「男から女に変わった人」は受け入れるしウケるのだが、
その逆の「女から男に変わった人」は受け入れられない、ということではないか。
前者は笑って受け止められるが、後者は笑い事ではない――
と、そう感じるということではないか?
なぜ日本人はそうなのか、ということになると、非常に深い話になりそうである。
そこにはたぶん、かつて日本が世界に冠たる「男色王国」だった伝統、
男性演歌歌手が女言葉で歌を歌うのが普通であるという慣習・環境というのがあるのだろう。
しかし一つの仮説として、「日本人は、男の性より女の性を重視する」というのはどうだろう。
これは一般の通念に反する(日本人は「男尊女卑」ではないか?)ことではあるが、しかし……
「女性は生命を産み出すから偉い・尊い」
という言葉は、日本人の心に非常に強く根付いているのではなかろうか。
私はこれ、子どもを産めない女性を傷つける不適切な言葉じゃないかとかねがね思う――
それはみんな同じじゃないかと思うのだが、それでもこんなことを言う(思う)男性・女性は、ものすごくたくさんいるのは周知のとおり。
つまり日本人は確かに男尊女卑かもしれないが、しかしその反面、
「女性の性は、男性の性より尊い」
と、ナチュラルに本気で思っているのではないか。
だから「男から女に変わる」のはいいが、
「女から男に変わる」のは聖なる性質を捨てること、冒?的なことだとまで感じるのではなかろうか。
だからこそ、女から男に変わった芸人やガチレズ芸人はいない――
いや、受け入れる余地がないのではないか。
それを見て、笑うことができないのではないか。
まあ、これは単なる一仮説に過ぎないのだが……
しかし、では、他にどんな仮説があるのか今のところ考えつかないのである。