日本人はどんどん貧しくなり、日本は衰退の道を歩んでいる。
いまや東南アジア諸国の方が、日本よりよっぽど景気がいい……
というのは、ちょっと前から日本の常識になり始めている。
幸か不幸か私はそれほどそういう風には実感していないのだが、しかし海外へ行く機会の多い人は、やはり実感しているようである。
なぜ日本はそんなに凋落したのか、なぜずっと停滞しているのか――
というのは、確かにあまりに巨大で複雑すぎるテーマではある。
しかし原因はわからなくとも、これから日本は没落していくのだろうというのは、今を生きる日本人のたぶん共通認識である。
大半の日本人は、日本の将来が明るいものだとする材料を挙げることができないだろう。
それに反して、日本の将来が暗いものだとする材料はたちどころにいくつか挙げることができるだろう。
人口減少もそうであるし、
第2次関東大震災だって、起きる可能性は非常に高い。
(それでも東京への一極集中傾向は止まないと言われているのだから、処置なしである。)
以前の記事でも書いたが、もし昨年2020年に東京オリンピックが無事開催されていたとしたら、
それは「経済大国最後の祭典」として後世に記憶される――
そういう予感を持っていた人は、かなり多かったはずである。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
ところで、そういう日本衰退の予感ですぐ思いつくのは、「ポルトガル」という国についてである。
周知のとおりポルトガルは、大航海時代に一躍世界史の主役に躍り出た。
現代のポルトガルからは信じられないことに、この国が世界の主役を張る超大国だった時代があるのだ。
しかしこれも周知のとおり、現代のポルトガルはヨーロッパの中だけに限定しても大国とはとても呼べない。
よその国にこんなことを言うのは悪いが、ポルトガルは世界史の中の「一発屋」だった。
そのポルトガルと日本は、実は似ているのではなかろうか。
思えば日本は、明治維新以来いささか調子が良すぎた。
清国に勝ち、ロシアにすら勝ち、信じられないことにアッという間に「五大国」の仲間入りをした。
そして太平洋戦争中は、今のミャンマーすら征服してしまったのだ。
(こんなこと、今となってはこれまた信じられない気がする。)
第2次世界大戦では敗北して占領されたものの、しかしまたアッという間に世界の経済大国として大成長した。
1980年代から90年代初頭まで、「次の超大国は日本」「21世紀は日本の世紀」なんて話が、本当にリアルに語られていたものである。
しかし現代から、いや後世から振り返って見れば、あれは大航海時代のポルトガルみたいなものだったのではなかろうか。
即ち16世紀ポルトガルも20世紀日本も、共に世界史の中の一発屋として歴史に刻まれるのではないか。
そしてある意味、東アジアは「正常化」に向かっていると言えないこともない。
だいたい20世紀のように、「統一中国の経済力が日本をはるかに下回る」なんてこと、歴史的には超異常事態だったはずである。
統一中国の経済力や国力は、日本のそれの何倍・何十倍にも及ぶ……
それが今までの正常な状態だったのではないか。
しかしやはり、そんな異常事態は長く続かないものである。
日本は長らく、東アジアでナンバーツーの国力であり続けてきた(はずである)。
統一中国を差し置いてナンバーワンになるなんて、あり得ないはずのことだった。
それでもそれが現実であったのは、むしろ改革開放以前の中国がいかに不甲斐なかったかを示している。
それが今、ようやく正常に戻ろうとしている。
別にこう言ったからって、私は媚中派でも何でもない。
ただ、国には盛衰があるという当たり前のことを言っているだけである。
永遠に繁栄する国はなく、今の中国もアメリカ合衆国も例外ではない。
25世紀にどこが超大国になっているか、そんなことはわかったものではない。
そしてあなたは、この日本が世界第2・第3の経済大国だということを、不自然に思わないだろうか。
それはあまりに「調子が良すぎた」とは感じないだろうか。
そして別に、一発屋だからダメだとか卑下すべきだとかいうことにもならない。
ポルトガルや日本が一発屋なら、モンゴルなんて史上最大の一発屋である。
だからと言って私は、ポルトガル人やモンゴル人をバカにする気は毛頭ない。
どうせ、国は盛衰するのである。
国も民族も個人も、「一発当たる」時がある。
そしていつか、一発当たった時より衰退する日が必ず来る。
そんなのは当たり前のこと過ぎて、悲観するには及ばないのではなかろうか。
それはともかく――
これから日本では、ポルトガル(スペインでもいいが)の盛衰を採り上げた書籍や記事が多くなっていくのを予想しておいていいだろう。
そして未来の地球では、日本が「東洋のポルトガル」としてイメージされていることも、予想しておいた方が無難かもしれない。