12月22日、日本生産性本部は「労働生産性の国際比較2023」を公表した。
それによると、2022年の日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)はOECD加盟38カ国中30位。
これは世界ランキングで前年より2ランク下がり、1970年以降で最低の順位となった。
そしてこれは、(長らくヨーロッパの中でも慢性病人視されている)ポルトガルよりもやや低い。
続いて12月25日、内閣府は2022年の日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)を発表、こちらはOECD加盟38カ国中21位。
これもまた1980年以降で最低の順位となり、先進7カ国(G7)の中でも2008年以来の最下位となった。
ちなみに「あの」イタリアは20位で、日本を上回る。
なんと日本は、「あの」イタリアにも負けているのだ。
(⇒ 日本商工会議所 2023年12月25日記事:日本の労働生産性はOECD38カ国中30位で過去最低(日本生産性本部「労働生産性の国際比較2023」))
(⇒ 共同通信 2023年12月25日記事:1人当たりGDP、最低21位 G7最下位、円安響き15%下落)
確かに円安の影響というのはあろうが、まさに「どうしてこうなった」の世界である。
「21世紀は日本の世紀」とか言われていた1980年代から40年、ついに日本はポルトガルやイタリアに「さえも」劣る身分に没落した。
そして多くの日本人は、こう反応するのである――
これはひとえに、「政治が悪い」からだと。
国民や企業は一生懸命頑張っているのに、政治の無能がこの体たらくを生み出したのだと。
しかし私は、それはハッキリ違うと思う。
いったい、こんな経済転落の責任と原因がひとえに――100%とは言わずとも大部分は――政治にあると考えるのは、政治と政治家というものを過大評価し過ぎだと思うのだ。
政治家なんて、こんな経済変動に対してはいかにも無力なものだと思う。
もっと言えば、このような「歴史の大きな流れ」について政治家たちの努力なんかでは如何ともしがたいというのは、当たり前のことではないか。
この日本が世界第二位の経済大国だとか、かつてのGDPは中国の10倍以上あったとか、そんな時代がいつまでも続くわけがなかったのは明らかである。
そんなのはいかにも不自然だったのであり、それこそポルトガルがそうだったように、これからの日本は「世界史の中の一発屋」みたいな時代を終え、まずまずそれなりの地位に回帰していくのはむしろ自然なことではないか。
それでもまだ、今の日本の低落が「政治が悪いから」「国民は悪くない」と思うのなら――
その悪い政治を続かせているのは他ならぬ国民であるのに間違いないことを、いったいどう説明するだろう。
政治が悪いから日本は転落したというのなら、むろん最も悪い政治家とは、長らく政権与党の地位を占めている自民党の政治家ということになる。
ところが自民党の政治家たちは、当然ながら選挙に通っているから、国民の多数投票を得ているからこそ政治家になっている。
どんな選挙にも投票に行かない人が過半数を占めているということも含め、それは国民の選択であるとしか言いようがない。
だったら日本の低落が誰のせいかと言えば、国民のせいであるのに決まっているではないか。
そしてこの「国民のせい」説は、本当は誰でも肌で実感しているようなことだ。
他ならぬ自分自身の職場で、明らかに生産性の低い・生産性のない仕事が行われている。
どうかすると、自分こそそんな仕事をやっている(のかもしれない)と日々感じている。
非効率で無駄が多く、ほとんど何の利益も成果もないと確信できるような「対応」を、日々やることこそ自分たちの仕事になっている……
そして、あなたや周囲の人たちにそんなことをそんな風にさせているのは、はたして政治家の差し金だろうか。
政治が悪いから「仕事」がそんなことになっているのだろうか。
そう考えるのは、世界の紛争は世界を牛耳る闇の組織のシナリオによるものだという典型的な陰謀論と、ぜんぜん大差ないのではないか。
日本の生産性が悪化の一途を辿っているのは、経済力が衰えているのは、断じて政治のせいではない。
政治家にそんな影響力は全くなく、では誰が悪いのかと言えば、職場や地域の国民たちが悪いのに決まっている。
そしてその悪い人たちの中には、自分自身も入っているのではないか……
そう疑う者、疑うことができる者が相当数いなくては、日本の低落は(それが歴史の流れだとはいえ)さらに続く一方だろう。