プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ダイハツ検査不正で全車種出荷停止-官も民も変わりなしという現実

 12月20日ダイハツ工業(株)は、車両検査不正についての調査委員会の調査結果を公表した。

 そこで175の不正があったことが判明したことを受け、国内外で生産中の全ダイハツ開発車種の出荷をいったん停止するとのこと。

 そしてこの種の不正は、なんと30年以上昔の1989年から行われてきたという。

(⇒ のりものニュース 2023年12月20日記事:ダイハツ不正は「30年以上前から」 国内外・全車種出荷停止の窮地に 「ごく普通の従業員」が手を染めて)
https://trafficnews.jp/post/130055
 
(⇒ YTV NEWS NNN 2023年12月20日記事:ダイハツ不正問題 第三者委が会見「過度にタイトな開発計画による極度なプレッシャーが原因」)
https://news.ntv.co.jp/n/ytv/category/economy/ytba5c1952ae2a4f06b96a003ea4449609


 いやはや、我々は今までいくつの「日本の自動車会社の検査不正」のニュースを目にしてきただろう。

 有名例の三菱自動車をはじめ、この種のニュースはほとんど枚挙に暇なしという有様にもかかわらず、その間の30年間ずっと不正をやり続けてきたのだ。

 これはまるで、(これもまた枚挙に暇ないほどニュースになっている)無免許運転の逮捕者のようである。

 そしてまた、その不正の内実というのが――

●現場を担当する、主に係長級のグループリーダーまでの関与が認められるにとどまる。
 
 ダイハツ工業が会社として組織的に不正行為を実行・継続したことを示唆する事実は認められなかった。

●安全性能担当部署と法規認証室以外の者には、『認証試験は合格して当たり前。不合格となって開発、販売のスケジュールを変更するなどということはありえない』というような考え方が強く――不正行為に関与した担当者は、やむにやまれぬ状況に追い込まれて不正行為に及んだ、ごく普通の従業員である。

●過度にタイトで硬直的な開発スケジュールの中で車両開発が行われ、「認証試験は合格して当たり前」との考えが強く、担当者は「不合格は許されない」という強烈なプレッシャーの中で業務を行っていた。

●現場任せで管理職に報告・相談ができず、職場閑居がブラックボックス化し、チェック体制が構築されていなかった。


 と調査結果に書かれているというのも、いったい何度見てきたテンプレ的文章かわからない。

 いやはや「会社ぐるみの組織的不正ではない」と言ったって、30年の間には「不正行為に関与してきたごく普通の従業員」から経営陣・管理職階級に昇った人が何十人もいるはずである。

 いくら現場の下級社員・下級工員がやむにやまれずやりました、経営陣と管理職は知らなかったんですと言ったって、それが30年もずっと続くわけないのである。

 もちろん会社が不正をやれと命令したという意味での組織的関与はなかったとしても、不正をするのが慣例・社風になっていたという言い方は、必ずやできるはずなのだ。

 ところで上記の引用記事を見てすぐ思いつくのは、国の官僚や官公庁の仕事を批判する時これまたテンプレ的に用いられる、「彼らは自分たちが間違っているとは絶対に認めない、そういう前提に立とうとしない」とかいう言葉である。

 これと「検査に合格しないのはあり得ない」というのは、何とよく似ていることだろう。
 
 官公庁が自分たちに間違いはあり得ないと思っているとすれば、民間企業もまた自分たちに間違い・手落ちなどあってはならないと思っている。

 何のことはない、官も民もない、みんな同じではないか……

 と感じるのは、普通の感覚というものだろう。

 そして実際、「検査不合格などあり得ない、ミスなどあってはならない」という雰囲気の会社は日本にゴマンとあり、ものすごく大勢の労働者が(管理職も)そういうプレッシャーの中で仕事しているに違いない。

 いや、こんなのは日本だけであるはずがなく、世界中がそうだと想定するのは間違いだろうか。

 ダイハツ工業は、天下のトヨタの子会社である。

 そしてトヨタは、日本凋落が声高に言われる現在にあってもほとんど唯一公然と称賛され「手本」とされ、日本企業の希望の星みたいに言われるエクセレント・カンパニーでもある。

 しかし私は、(別にトヨタに限らず)こういうエクセレント・カンパニー論やプロジェクトX的な「スゴい会社」「ヒーロー企業」「卓越した職場」論は、ほぼ一切信用しないものである。

 私はああいうのは、「超兵器と卓越倫理を持つ旧日本軍がアメリカ軍をバッタバッタと撃滅する」架空戦記にも似た、ヒロイック・ビジネス・ファンタジーだと思っている。

 いかに今現在は好業績・好戦績を上げていようと、そんな夢みたいな企業や組織や軍隊があるわけないと思うのである。

 アレクサンドロス大王の軍隊は、確かに強くて活力があったろう。

 チンギス・ハーン幕営は、確かに優秀で勢い当たるべからざるものがあったろう。

 しかしその内実が清純だとか道徳的だとか、そんなことがあるわけがない。

 どこのどんな組織だろうとエクセレント・カンパニーだろうと、内部には必ずドロドロしたものがあるに決まっている。

 失敗を(自他ともに)許さないプレッシャーや、いざ失敗したときの恐ろしさ、それら全てを引き起こす「泥にまみれた人間関係」というのは、どこにでも存在する現実である。

 その現実に官も民もなく、あなたや私もその現実の外にいるわけでは全然ない。

 我々はもういい加減、ヒロイック・ビジネス・ファンタジーを読むことを止めるべきではないか。

 ましてや、その幻想の中で生きようとするのは、綺麗さっぱり忘れるべきではないだろうか。