テニスの大坂なおみ(23歳)が、全仏オープン大会で記者会見を拒否したことが話題になっている。
しかし、ここで書くのはそのことではなく――
彼女が今年のスポーツ長者ランキングで、世界中の女子スポーツ選手でトップの「年収60億円」を稼いでいる、ということである。
これは別に彼女に限ったことではなく、同じ男子テニス選手の錦織圭は年収29億円であるなど、
スポーツ選手が1年で何億円、それどころか1試合出場で何億円・何十億円を得るというのは、「ごく普通の話」となっている。
そして私は、こういう話をニュースで見るたび聞くたびに思うことがある。
それは、こういう話を、世の「格差・貧困に苦しむ人たち」はどう感じているのだろうか、という疑問である。
格差と貧困は、日本に限らず世界的な大問題(もしかすると人類最大の問題)であるはずだ。
日本だけでも、それに苦しんだり憤っている人は、何百万人単位に及ぶはずである。
いったいそういう人たちは、このスポーツ長者(スポーツ貴族)や芸能長者(芸能貴族)らのことを、どう思って聞いているのだろう。
私は「経営者長者(経営者貴族)」が批判を受けているのは見聞きしたことがあり、
いま「富の偏在」が世界的問題になっていることも、あなたと同じく知らないわけがない。
しかしなぜか、絶えて一度も見聞きしたことがないのである――
スポーツ長者と芸能長者に対する批判は。
私は幸い、貧困層ではない。(もちろんこれは、ただの偶然である)
しかしもし自分が貧困層であれば、
スポーツ選手や芸能人が何億円稼いだとかいう話をこれほど毎日のように見聞きしていれば、
どれだけ鬱々とした絶望感・挫折感・敗北感に苛まれながら毎日を送ることだろうかと、想像せずにはいられない。
世の貧困に苦しんでいるはずの人たちは、そんなことはないのであろうか。
そんな声はネットのコメント欄でさえ見かけないので、(私にはそうは思えないのだが)やっぱり真にそんなことはないのだろうか。
これは、ごく素朴な疑問である――
この疑問に対して「当然だね」「しょうがないね」「世の中そんなもんだよね」「実力だよね」と答えるなら、
それはもう格差や貧困は全く問題でないことになる。
是正などする必要はなく、もしあなたが格差や貧困に苦しんでいるのなら、それはただあなたが能がないか運がないかというだけのことになる。
ここのところ、特に共産党あたりには詳しく聞いてみたいのは私だけではないはずだ。
というか、日本人全員に聞いてみたい気がする。
しかしこれ、どうも日本に限った話ではないように見える。
アメリカやブラジルの貧困層の人たちは、自分がこれだけ貧乏なのに、
これだけ毎日毎日スポーツ選手が何億稼いだという話を聞いていれば、
それは奮発して銃でも買って人をバンバン撃ち殺してから自分も死のう、
という流れになるのは特に不自然なことでもないと思われるのだが、
どうもそういう流れはないようである。
それどころかスポーツ長者は、憧れであり目標であり誇りでさえあるようである。
これは全世界的に、民主主義や平等主義が民衆の支持を失って(むしろバカにされて)、新たな貴族制を歓呼して受け入れる状態になっているということだろうか……