プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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宮台真司教授襲撃事件-「有名人殺し」の時代到来か

 11月29日午後4時15分ごろ、東京都立大学の南大沢キャンパスで、同大学教授で社会学者の宮台真司 氏(63歳)が男に首と背中を切り付けられ重傷を負った。

 宮台氏は病院に搬送されたが、幸いにも命に別状はないとのこと。

 これを書いている時点で、身長180センチくらいの男というのは捕まっていないが……

 しかし、この事件がいわゆる「通り魔」であり、偶然に宮台氏がそのターゲットになってしまったと思う人は、ほとんどいないのではないか。

 現場は路上ではなく大学内のキャンパスであり、しかも宮台氏はかなり突出した知名度を持つ言論人である。

 特に00年代には猛威を振るい、今でいう落合陽一 氏や古市憲寿 氏の先輩格に当たる。

 そして、右翼か左翼かの二分論で言えば、もちろん左翼の方であった。

 だからこそ、ちょっと不思議にも思うのである。

 今この時点で落合氏や古市氏が襲撃されるのはわかるが(と言っては語弊があるが……)、今この時点ではさほど言論的に目立ってはいない宮台氏が、いまさら襲撃されるという点が――

 ただ、もしこれが偶然の通り魔被害でないならば、その襲撃理由はやはり宮台氏の「有名性」と「思想傾向」だとしか思いようがない。

 そうでなければ、「身近な人間の不興を買った」ことぐらいだ。
 

 そして私が注意を引かれるのは、どちらかと言えば「有名性」の方である。

 以前からこのブログで書いてきたのだが、現代日本では「有名人貴族政」または「有名人民主制」への移行ぶりが顕著である。

 貧富の格差はもちろん開いているが、それと同様に有名人と無名人の格差はものすごく開いている。

 「有名人にあらずんば人にあらず」というのは、もう皮肉ではなく一般常識か「正しい」道徳ですらある。

 その反動というか当然の流れというか、「有名人殺し」の欲求・衝動・メリットというのも、かつてなく大きく広まっていると思うのである。

(⇒ 2022年8月1日記事:ヒカル、誤送金被告を救う-「第5の権力」ユーチューバー)

(⇒ 2020年9月23日記事:ジョン・レノン殺害犯40年目の謝罪-「有名人殺し」は今こそ盛んになるだろう)


 有名人を殺せば、たちどころに有名になれる。それどころか歴史に名が残る。(少なくとも犯罪史には残る。)

 無名人を数人殺してもすぐ後続のニュースに流されて忘れられるが、有名人を殺せば時の流れにも押し流されない。

 ならば「どうせ殺すなら有名人」となるのは、まったく理に叶った話である。

 そして、これに「自分の気に入らない思想」という味が付けば、有名人殺しはたやすく「正当化」される。

 そしてこのような人たちが殺したいのは、本当は有名ユーチューバーとかのネット有名人、あるいは芸能人だろう。

 しかしこれらのターゲットより身を守るのに不利なのは、勤め人であり勤め先がわかっている大学教授系の人たちである。
 
 今回の事件の真因がまだわかっていないのに、こういうことを言うのは早すぎるが……

 しかし日本では、これから本格的に「有名人殺しの時代」が来る、と予想しても間違うことはないと思われる。