プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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池江璃花子が白血病告白で骨髄ドナー登録が増える?-「有名人にあらずんば人は動かず」の社会

 2月12日、日本水泳界のエースと目される池江璃花子選手(18歳)が、自身が白血病であることを発表した。

 これを受けて芸能人らが骨髄バンクへのドナー登録を呼びかけるとか、

 その骨髄バンクへの問い合わせが急増するなどの動きが起きているそうだ。

(⇒ 毎日新聞 2019年2月13日記事:「ドナー登録手続きは」日本骨髄バンクに反響 池江選手公表で)

(⇒ AbemaTIMES 2019年2月13日記事:”白血病サバイバー”のタレント友寄蓮、池江璃花子選手の公表受け献血や骨髄バンク登録を呼びかけ)

 
 私は彼女や水泳のファンでもないし、オリンピックそのものにも興味はない。

 しかしそれは措くとして、ただ純粋に18歳の(まだ)少女がこのような病気に罹ったということを、心から気の毒に思うものである。

 このニュースに救いがあるとすれば、会見を開いた日本水泳協会が

「普通に暮らしていたらこの病気は見つからなかったと思う。

 水泳競技をしていたからこそ、(詳しくメディカルチェックするから)早期に発見できた」

 という意味のことを言っていたことだろう。

 白血病は水泳をしてもしなくても罹る人は罹るものなので、もし池江選手が水泳をしていなかったら手遅れになるまで発覚しなかった可能性が高い。

 水泳選手、それも世界レベルの水泳選手であるからこそ早期に見つけることができたわけで、これはやはり不幸中の幸運としか言いようがない。


 さて、このニュースで日本や世界に衝撃が走り、白血病骨髄バンク登録への関心はいやが上にも高まっただろう。

 このニュースをきっかけに「何か自分にもできることはないか」と骨髄バンクへの登録が増えるとすれば、結果オーライの観点から言えば良いことである。

(とはいえ上記引用記事によれば、骨髄バンクへの問い合わせは「平均1日2~3件」が「わずか数時間で10数件」に増えただけだ。

 これは歯に衣着せず言えば、「こんなもんか」程度の件数である。)


 しかしここで、あなたを含む何百万人もが思ったに違いないことがある。

 それはもちろん、「有名人の影響力」というものである。


 有名人が病気になったと報じられれば、それを支援する動き・応援する動きが、全社会的に広がる。

 身も知らぬ大勢の人が心配してくれる――

 はっきり言って、これほど「無名である人」(つまり、あなたのような人である)との格差を感じさせる現象はない。

 有名人が白血病になったら社会全体がそれを悲しみ、かつ応援する。

 これは「善い社会」とも言えるだろうが、しかし逆に「暗澹たる社会」とも解することはできる。

 なんたって、もし今回の件で骨髄ドナーが激増することがあるとすれば――

 その登録した人たちは、「無名の人」のためには心を動かされなかったが、有名人のためには動いたということになるのだから。

 世の人々は、無名の大勢の人たちが白血病に罹っているのを知ってるくせに普段心配してなかったのに、有名人がそうなったとなれば(大きく報道されれば)たちまち心配し出すのだから。


 そんなのは当たり前だ、仕方ないことだ、と言うのなら、

 もちろん無名のあなたがどんなことを言ったとしても、世間や身近な周囲からすら無視されるのも、全く致し方ないと諦めるべきである。

 そしてそういう風に諦めるということは、あなた自身はそれで仕方ないかもしれないが、民主主義の理念というものには完全に反することだと思われるのだが……


 どうも現代社会にあっては、「有名人にあらずんば人にあらず」とまでは人前で公言できないものの――

 「有名人にあらずんば人は動かず」というのは、発言が憚られるどころか「社会の常識、一般道徳」みたいな地位を確立しているようである。

 何でもかんでもヒトラーナチスのことを持ち出すのは芸がないというものだが、

 しかし今の日本は、ナチス時代のドイツよりはるかに「有名人の影響力」が強くなっているように見える。

 しかもそれを一般人は、この世のしきたりであり人の道だとでも受け取っているように見える。
  
 有名人に心を動かされるのは道徳的で人間的な当然のことだが、無名人に心を動かされるなど恥なくらいだしそもそも興味を持つことが無理なのが当然じゃないか、という風にである。

 これが人間のどうにもならない本性なのだとすれば、

「民主主義は長い人類の歴史の中の、一時の流行思想だった」

 ということも、大いにあり得そうだ。

 有名人というものが新貴族階級となった地球帝国や銀河帝国未来社会に実現するのも、SFの中の話では収まらないかもしれない。

 この有名無名格差というもの、貧富の格差より民主主義にとってはるかに手強い敵になりそうだ。

 なぜなら貧富の格差に反対する人は今でもとても多いが、有名無名格差に表立って反対する人はほとんどいないからである。

 それどころか進んで受容する人が多く、反対の意見など述べようものなら冷笑されたり叩かれるのがわかりきっているからである。

 
 しかし、それはともかくとして、池江璃花子選手にはぜひ病気を克服して元気になってほしいものだ。

 彼女が水泳界のエースだとか金メダル候補だとかいうのはどうでもよく――誰が金メダルを取ろうが取るまいが、あなたや私には何の関係もない世界の話だ――、

 ただ何の恨みもない一人の人間として、若すぎる死を迎えてほしくはないからである。