プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「絶対になってはならない職業」その1:児童相談所職員/偶然に手に入れた親権はそんなに神聖か

 世の中には、絶対になってはならない(と思われても仕方ない)職業というのがあるものだ。

 その筆頭近くに位置するのが、頻繁に・コンスタントにバッシングされる「児童相談所職員」というものである。

 ここでこうして書くまでもなく、普通の感性を持つ世間の人は、つくづく児童相談所の職員なんかになりたくはないと思っているだろう。

 わが子に児童相談所の職員になってほしい、なったら喜ぶなんて親は、親失格と言ってもいいほどかもしれない。

 
 子どもが親に虐待死させられたとニュースが流れれば、必ず間違いなく児童相談所が叩かれる。

 対応が悪いと言われるどころか、殺人共犯者とまで言われる勢いで、である。

 では児童相談所が「親からの虐待死を防いだ」場合はどうなるかと言えば、賞賛されることなどなくそもそも報道もされない。

 たとえされても、世間の人は「それが仕事なんだから当たり前」と反発さえしそうである。

 虐待死を防いでも褒められず、1件でも発生させたら(それが報道されたら)全国からワッと一斉に叩かれる。

 およそこれほど「割に合わない」「リスクのみあって利益がない」仕事というのも、なかなか珍しいではないか。


 よって、人がこういう仕事に就こうとしなくなるのは、はなはだもって当然のことである。

 逆に、もし志願してこういう職に就こうとする人がいるとすれば、その人は「変わり者」と見なされるだろう。

 だいたいみんな、知らないはずはないのだが――

 この世から親による子の虐待死をなくすことなど、とてもできる話ではない。

 児童相談所の仕事などやっていれば、いつかは必ずそういうケースに遭遇する日が来る、と見るのは正常なことだ。

 そんなリスクを他ならぬこの自分や自分の子が負うなんてイヤだ、と思うのは、人として真っ当な感性としか言いようがない。


 そして現実に――

 現に児童相談所で働きたいと思って働いている児童相談所の職員というのは、ほとんどいないのではなかろうか。

 児童相談所の職員の大多数は(心理カウンセラーとかの専門職を除いて)、一般職の公務員である。

 つまり彼らは、ただ単に人事異動でたまたまそこにいるだけだ。

 これは簡単に推測できることだが、彼らの間で児童相談所に配属されるというのは「貧乏クジ」と見なされているだろう。 

 まして所長なんかに配置されれば毎日ビクビクしどおしで、とても管理職になった喜びなど得られなさそうである。

 そもそも虐待親なんかと対峙することなんて、相当のカネをもらっても「自分はそんなことやりたくない」と思うのが普通の人間であって……

 むろん一般職の公務員もまた、普通の人間なのである。


 さて、こんなことを言うと、

「それでもそれが仕事なんだからやらねばならない」 

「そんな損得勘定で命を救う大事な仕事を見るなんて許せない」

 とか思うのもまた、普通の人間の――そして部外者の――声というものだ。   

 しかしそういう声というのは、なんだか「教え子を戦場に送る教師」みたいに聞こえるのである。


 危険極まるリスクを負いながら、見返りはほとんどない仕事……

 そういう仕事を自分はやらないしやりたくもないが、

 誰か他人はやるべきだ、そうしないのはけしからん、嘆かわしい――

 
 そんな考えを持つ人というのは、真っ先に撃ち殺して世の中から削除すべきではあるまいか。

(小説なんかでこういうキャラがいれば、百人中百人がこういう感想を持つはずである。)


 しかしおそらく、「労働者の児童相談所離れ」というのは、とても静かに今まさに進行していると思われる。

 いったい誰が好き好んで児童相談所で働きたがるのか、と疑問に思わない人は、もはや人間の心を持っていないと言っても過言ではない。

 いま児童相談所で働いている人のほとんどは、自分は貧乏クジを引いた、こんな所に来させられてしまった、早く異動したい、と思っているのではないか。
 
 そしてまた今から働く若い人たちも、ほぼ誰も好き好んで児童相談所で働きたいとは思っていない。

 そう考えるのは堕落でもなんでもなく、環境への適応進化というものである。

 この根本的なところをどうにかしないと、「児童相談所の機能強化・人員増員」などと言っても全然効果はないはずだ。

 およそ「貧乏クジを引いた結果と思われている仕事」「いつ時限爆弾が爆発するかわからない仕事」に従事することほど、やる気を掻き立てないものはない。
 

 これは前の記事での繰り返しになるが、我々はいいかげん「親子の繋がりは神聖」だとかいう世迷い言から目を覚ますべきである。

 バカやロクデナシでも子は持てるし、子を持つことにバカやロクデナシを更生させる効能はない。

(もっとも、たまにはあるだろうが。)

 そして「わが子や配偶者を虐待するのが心の支え」だなんて人も、確実に一定の割合で生じるのである。

 
 たかが偶然でその子を持ったくせに、ただそれだけで「親権」なんていう大層な神聖な権利が自動的に付いてくる、保持できる/保持されるべきだ、

 なんていう根拠薄弱な信念は、即刻ゴミ箱に叩き捨てるべきである。

 「オマエ、親だから何だっていうの?」

 と世の人々が普通に思えるようにならなければ――

 虐待親による子殺しとか、

 その虐待親の下に子どもを返すとか、

 なんて悲劇は、決してなくならないだろう。