プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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富山警官殺し拳銃強奪事件:小学校は「社会の捌け口」なのでテーザー銃を/遺伝子操作で防ぐ「はずれクジ」問題

 6月26日に富山市で起こった「交番襲撃・警官殺し・拳銃強奪・民間警備員射殺・小学校襲撃未遂(?)」事件の犯人は――

 元自衛隊員にして今ファーストフード店アルバイトの、21歳男性であった。

 彼は事件直前にバイト先の上司を殴って早退し、その足で(家族にLINEして自分の持ち物を全部捨てるよう依頼し、たぶん自宅に戻って刃物類を取って)交番に向かい、顔見知りの警官を刺しまくって殺した。

 そして20分ぐらい住宅地をうろついた後、近くの小学校へ行き校舎改築工事の警備員であった男性を射殺した。

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 例によってこれもまた、「はずれクジ」人間の凶行である。

 彼の親は(またまた例によって)PTA役員をやったり「キチンとした人」と上記引用記事には書かれているが、そういう人もやっぱり「はずれクジ」の子を授かるのだ。

 この「はずれクジ」問題というのは、本当に現代社会で最も深刻な問題である。

 もしかしたらこれは、少子化問題にも一役買っているのではないかと思える。

 はずれクジの子どもを引き当てるのが怖くて――

 育て方次第で自分の子がはずれクジになってしまうのが怖くて、なかなか子どもを作る気にならない/子どもを欲しくない、

 というのは、案外的外れな推測ではないかもしれない。

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 この問題は、人間が従来どおりの生殖を続ける限り解決不可能である。

 必ず、絶対に、全国で生まれてくる子の何人かは、淫楽殺人鬼やロクデナシや極悪人といった「はずれクジ」になると決まっているのである。

 では解決策と言えば、生殖に人為選択をプラスするしかないだろう。

 おそらくは「はずれクジ」になる(なりそうな)遺伝子や遺伝子の組み合わせというものがあり、それはいずれ解明されると予想される。

 そういうものをわが子について除去できるのであれば、人類は(皆さんは)必ずそうするはずである。

 ついでに言えば、女の子なら美人で頭が良く、男の子ならカッコよく頭が良く背が高く身体能力の高いように、こぞって好みのカスタマイズをするはずである。

 これは悪夢のようなサイバーパンクな未来図というわけではなく、きっと未来では当たり前のことだ。

 現代の我々が、炊飯器でご飯を炊かない人(わざわざいつも飯盒炊爨で炊く人)を「変わった人」ないし「遅れた人」と見るように――

 カスタマイズしないで自然のままに産む人の方が「変わった人」「遅れた人」そして「常識のない意識の低い人」と見られるようになっても、何もおかしなことではない。

 そしてそうしなければ、いつまでもこの「はずれクジ」問題は解決しはしないだろう。


 さて、この手の事件を起こす人が決まって目的地にするのは「小学校」、そうでなければ「保育園(幼稚園、こども園)」であることは、もはやこれだけ事件が起これば疑いようのない事実であり傾向である。

 今回の犯人も、拳銃を奪ってすぐには小学校へ行かず住宅地をさまよったとはいえ、結局やっぱり行き着くところは小学校だった。

(住宅地にいるとき住民に声を掛けられているのにその人は射殺せず、小学校へ行って初めて民間警備員を射殺したというのは、やはりターゲットは初めから小学校であったことを窺わせる。)


 そこへ行けば「多くの人を殺せそうだ」という打算からか、

 単に「広くて、大きい校舎建物があり、比較的その数が多い」というランドマーク性によるものなのか、

 高校でも中学でもなく(なぜか)小学校こそ「過去の自分の悪い思い出」の象徴なのか――


 繁華街や大型ショッピングセンターに行けばいいようなものの、なぜだか彼らは小学校へと引き寄せられる。

 それはまるで、「襲うなら小学校」というひらめき・連想・共通概念が存在しているかのようである。

アメリカの銃乱射犯は高校やらコンサート会場やら、その実行場所は比較的バラエティに富んでいるのだが、日本の同類犯は決まって小学校を選ぶ――

 これは「国民性の違い」なのだろうか。)


 とにもかくにも、彼らにとって小学校こそ「社会への(復讐の)窓」、「社会への恨みの捌け口・恨みの象徴」となっていることは確実と言ってよい。

 そしてそのことがいい加減わかっているなら、小学校の警備に資源を集中させるのは間違ってはいないだろう。

 小学校にはサスマタだけでなく、テーザー銃(射撃型スタンガン)も装備すべきである。

 捕獲ネット(網)を発射する銃も装備すべきである。

(もちろん、その訓練もしなければならない。)

 それがムリならせめて、各教室に1つの割合で銃剣(刺殺性能はなくてよい)でも用意しておくべきではないか。

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 遺伝子操作とカスタマイズが普及しない限り、はずれクジ人間の襲撃を防ぐ手段はない。

 外国が攻めてくることなどより、同国人のはずれクジ人間に襲われることの方が、我々にとってははるかに可能性の高い身近な脅威である。

 その意味で現代は、新たな「国民皆兵」「常在戦場」の時代なのかもしれないし、そうあるべきなのかもしれない。