かのアインシュタインが1920年代にアジアを旅行したときの日記が新たに見つかり、そこにはアジア人(特に中国人)を蔑視する描写が随所に見られることが、このたびわかったそうである。
そしてこの日本では、大人気マンガ『ワンピース』の作者・尾田栄一郎氏がコミックス89巻の表紙(の折り込んだ所)の作者コメント欄で、
あの「戦争が終わったことを知らず三十年近く南の島で潜伏活動していた日本兵」故・横田庄一軍曹をギャグネタにしたということで炎上、
ジャンプ編集部が謝罪文を掲載するという出来事があった。
私としては、横井軍曹や小野田少尉といった「最後の日本兵」を、「公然と」逆ネタにしようという気にはならない。
しかし、友達同士だけの席の内輪ネタとしては、口にすることがあるかもしれない。
このたびの新幹線内殺傷事件だって、日本中で「おまえ、ナタでぶっ殺すぞ」なんて冗談で口にする人は、何百人・何千人といるはずである。
だが、それを公刊物にそのまま書いてしまうと言うのは、ちょっとやろうとは思わない。
さすがにジャンプ編集部の人も「これはまずいんじゃないの?」くらい思ったかもしれないが、雑誌の看板の超売れっ子作家に対しては、そんな意見すら言えないのだろうか……?
(もっとも、コミックスの表紙折り込みの作者コメント欄なんて、たいていはどうでもいいこと/しょうもないことが書いてあるものではある。
たぶん編集者らは、そんなのに慣れっこになっているのだろう。)
さて、言うまでもなくアインシュタインはユダヤ人であり、ナチスドイツのユダヤ人迫害の魔手を逃れてアメリカに亡命した人物である。
そんな人でも、中国人らアジア人には差別感情を持っていたわけだ。
差別される人がもっと「下」の人を差別する――
というのは、世にありふれた物悲しい心理の一つである。
要するに(本当はこれも言うまでもないのだが)アインシュタインとは、そこらのありふれた一般人の一人だったということだ。
このブログでも何度となく書いてきたことなのだが――
我々は、こういう人たちのことを「偉人」「天才」「すごい人」とかいって賞賛・讃仰するのを、いいかげん止めるべきである。
アインシュタインとは何者か。
それは「物理の非常によくできる一般人」である。
尾田栄一郎氏とは何者か。
それは「非常の売れるマンガを書く能力のある一般人」である。
もっと身近に言えば、彼らをはじめとするあらゆる偉人・天才・売れっ子とは、
「これを読んでいるあなたに、何らかの優れた能力がくっついた」というだけの人物なのだ。
そういう人物がはたして褒め称えられたり畏敬の念を持たれるべき存在なのかどうか、胸に手を当てるまでもなく、あなたにはよくわかっているはずである。
こういうのは自明のことだと思うのだが――
しかし世の中では、「人間には上と下がある/あるべきだ」とするのが「正しい道徳観」だと思う人が大多数だというのは、これまた物悲しいことだ。
故スティーブ・ジョブズも故ケネディ大統領もファーブルも、
あなたや他の全人類と同じく、そこらの一般人である。
一般人の中の、才能という当たりクジを引いて生まれてきた人である。
もしあなたが「宝クジに当たった人は尊敬すべきだ」という意見を持っているなら、それは彼らを尊敬すればよい。
しかしまず間違いなく、あなたはそれほどヘンな人ではないはずである。
それなのにやっぱり「宝クジに当たった人はエラい人なんだ」と思うとしたら、なんとおかしなことではないか。