北海道選挙区・無所属の小川勝也参議院議員の息子(22歳)が、またまた児童強制猥褻の疑いで逮捕された。
2017年11月に一度目、今年3月に二度目、起訴され公判中だったが4月に保釈されたその最中の出来事であった。
そしてまた、例の新幹線殺傷事件の小島一朗(22歳)の父親も、そのコメントがあまりに他人事のようだと非難されている。
小川ジュニアのペドフィリア(小児性愛)ぶりは、もちろんビョーキである。
これはもう、一生かかっても治らないかもしれない。
こんな息子を持った小川勝也氏は気の毒だ、と思うのは、間違った感じ方だろうか。
小島一朗のような息子を持ったその父親は(母親は、親族は)気の毒だ、と思うのも間違っているだろうか。
抑えられない変態性欲を持って生まれてくること、
新幹線でナタを振るって「誰でもいいから殺したい」と思い詰める素質を持って生まれてくること、
これはどちらも、本人にはどうにもならないことである。
と同時に、もちろんその親にもどうにもならないことである。
育て方がどうとか言ったって、生まれ持った素質を変えることはできない。
その素質がどこでどうスイッチが入るのか、予測することなど誰にもできない。
つまりこれは、たまたま運悪く「ハズレくじ」「貧乏クジ」を引くかどうかという問題に還元されてしまうように思える。
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小島一朗という男は、子どもの頃から「変な子」だったと父親は言う。
そして今は疎遠になり、接触もほとんどなかったという。
父親の気持ちになってみれば、「ハズレくじを引かされた上にこんな事件まで起こされてさらに自分が批判されるなんて、たまったもんじゃない」というところではないだろうか。
小川勝也参院議員にしても、こんな息子を持ったのが身の不幸だと嘆くのを、誰が「いや、育て方が悪いんだろ」と責められるだろう。
思うに現代日本では、「血のつながり」というものが非常に重視・神聖視されている。
現実世界での「世襲」はおろか、マンガやアニメの世界ですら「血統主義」がはびこっている。
その度合いはもしかしたら、かつての封建時代よりはなはだしいかもしれない。
(昔の大名家なんて、血縁のない他の家から普通に跡継ぎ用の養子をもらってきていたものだ。)
上杉謙信亡き後の上杉家の内乱「御館(おたて)の乱」は、謙信の養子(そして謙信も属していた長尾家の一族)である景勝と、関東北条家から養子に来ていた景虎が争ったものである。
しかし現代人の目から見れば、この北条家の人間である景虎が、景勝と拮抗する対抗馬になるなんてこと、非常に不思議に思えるのではないか。
なんたって景虎は、上杉(長尾)の血を引いていないのである。
そんなのが多くの支持を集めるなんて、むしろ現代での方があり得ない話である。
だが昔は、そうではなかった。
現代日本人は、戦国日本人や江戸日本人よりずっとずっと血統主義になってしまった。
小川ジュニアや小島一朗のような子どもを(あなたが)持つかどうかは、ひとえに単なる偶然である。
自分の力ではどうにもならないことである。
なのに血のつながりがあるからと言って、少なくとも道義的責任は負うべきだとされる――
「外れクジを引くことには責任がある」と主張すれば、おそらく万人が「そんなバカなことはない」と否定する。
それなのにその同じ万人が、事件を起こしたらやっぱり親も悪いのだ/責任を感じるべきだと「理屈抜きに感じる」のは、やはり血統主義のなせる業だろうか。
この「外れクジ・貧乏クジ」を引くという恐怖ないし懸念は、人生と人類にとって最大級の課題だろう。
いったいこれまで、そしてこれからも――
どれほど多くの人間がパートナーに外れクジを引き、わが子に貧乏クジを引いて、人生を台無しにしてきたか空恐ろしいものがある。
はたして血のつながりがあるからと言って、この単なる偶然について親が責任を負うべきなのかどうか……
もしあなたが外れクジを引いたなら、その答えは明らかだろうと思われる。