プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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今度はベトナム変異株-南方アジアの危機と「それでもオリンピック」

 5月29日、「新型コロナの新型」と言うべきか、イギリス変異株・インド変異株に続き、今度はベトナム変異株というのが発見されたとベトナム政府が発表した。

 これはイギリス株とインド株のハイブリッドで、さらに感染力が強いとのこと。

 また、マレーシアでは「あのインド」以上に感染率が高くなり、6月1日から2週間、全土ロックダウンを実施することになった。

 昨年あたりの「アジア人は欧米人よりコロナに罹りにくい、何かは不明だがXファクターがある」という話は、ウイルス変異の早さにあっさり崩壊してしまった観がある。

 アジア人に初期型コロナへの耐性があったのは本当かもしれないが、しかしそれもウイルスの急速変異には短期間しか持ちこたえられない、ということだろう。

 何となくだが、類が各種コロナウイルスへの耐性を持つようになるには、百年単位・千年単位の進化論的時間がかかるようにも思えてくる。

 初期コロナへの耐性がアジア人にあったのが本当だとして、そうなるまでにはやはりそれくらいの時間と死者を要したと思われるからだ。

 インドからインドネシアにかけての「南方アジア」は、もしかするとこれから修羅の時期を迎えるのかもしれない。


 さて、もう開催まで2ヶ月を切った例の東京オリンピックだが――

 事態はますます「オリンピックどころじゃない」度合いを増している。

 「人類がコロナに打ち勝った証」という言葉は、もはや悪質なブラックジョークにしか聞こえない、という人は日本でも大多数のはずである。

 事態は今、どんな人間が考えても「外国からの入国は厳格に制限すべき」ということになるはずなのだが……

 それでもなおオリンピックを開いて世界中から選手・関係者を取り入れる、というのは一言で言って狂気の沙汰だ。

 しかしもう、オリンピックが開かれるのは確実である。

 そうなると長期的視点で気になるのは、いったいこのことを後世はどう見るだろうということになる。
 
 日本政府(自民党政権)の評価は言わずもがなだが――

 オリンピックというもの自体がどう見られるか、

 スポーツというもの自体がどう見られるか、
 
 「東京五輪変異株の発生」「日本で感染大拡大」のリスクを招いても、

 それでも日本国民や世界人民はオリンピックとスポーツに勇気をもらったり熱狂したりするのか、

 これはもう興味津々である。

 
 これまでもこのブログで書いてきたが――

 2020(本当は2021)東京オリンピックは、日本にとって「経済大国最後の祭典」となるだろうか。

 それを超えて、「スポーツバブルの終わりの始まり」にすらなるだろうか。

 そして新型コロナは、あのペストをも上回る歴史的疫病として世界史に刻まれるだろうか……