プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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アパホテルvs中国(4) 「社長が自分の店に自分の本を置く」ことがなぜバカにされない?

 さて、次に書くのが、私が最も強く思ったことだ。それは――


(3)「会社のトップが自分の店に自分の書いた本を置く」というのは、一般には嘲侮されることではないだろうか


 ということである。

 考えてもみよう――あなたが勤める会社の事務所の応接室や店の店頭に、社長の自著が置いてあるという光景を。

 それははっきり言って、恥ずかしいことと感じないだろうか?

 正直言って、「社長にも困ったもんだ」と思わないだろうか?

 アパホテルの全客室に、アパホテルのオーナーが書いた本が置いてある。

 しかもそれはホテル論やおもてなし論や経営道についてではなく、歴史研究についての(物議を醸す内容の)本である。

 実のところアパホテルの社員や従業員さんたちは、「また社長がヘンなことして……(困ったもんだ)」と思っているのではないか。

 それは、自分がアパホテル勤務者だと想像してみれば、「たぶんそうだろう」と容易に思いつく心理である。

 世間一般ではそういう行為は、「鼻持ちならない自己顕示欲」とか「ヘンなオジサンが調子に乗ってる姿」と受け取られる。

 もしこのアパホテル本の内容が「死後の世界は存在する!」とか「人間の誠意は水にさえ通じる!」などというものだったら……

(水に「ありがとう」という言葉をかけたら水が何らかの良好な反応を示す、というような本もこの世にはあるのだ。)

 いや、そこまでではなくとも、「邪馬台国は淡路島だった!」(こういう本が無数にあるのは周知の通り)などという内容だったら……

 世間がアパホテルを賞賛するとか応援するとか、決してなかったことだろう。 

 アパホテルがたとえトップに逆らえない構造のワンマン会社であったとしても、それは重役連は必死で反対したことだろう。

 しかし、一連の報道の中で、そもそも「会社のトップが自社の店の店頭に、自分の書いた本を置く」ことの是非について論じたものはないようである。

 このことは、たとえ通常なら「よくやるなあ、こんなの恥ずかしいと思わないのかなぁ」とされることでも、それが国民のナショナリズムに訴えかける内容であれば問題にもされない、ということをよく示している。

(そして出版社にとっては、やはりナショナリズムに訴えかける本はドル箱になる、ということに改めて気づかされたのではないかと思う。

 今回の騒動すなわち多大なる宣伝効果は、他のジャンルの本ではまず期待できないことだ。)

 

 私はこんなことを書いたからと言って、アパホテルのトップである著者・元谷氏を批判しているわけではない。

 元谷氏が自著を自社ホテルの全客室に置こうと考えたのは、商業目的が一番の動機というわけではなく、やはり自著を(タダでいいから)広く読んでもらいたい――

 自分の考えと「真実の歴史」を世の中のできるだけ大勢に知ってほしい、という願望・衝動が第一の理由だろう。

 そういう願望や衝動は、およそ本を書く人が持っていて当然のものである。

(どんな本であれ、そうでない著者がいるなんて全く信じられる話ではない。)


 そもそもこんな行為を「卑しい」とするなら、商売をやっている人(つまりビジネスパーソン全員も含まれる)はみんな「卑しい人」である。

 出版社・新聞社をはじめどんな会社も、自社の販売物やサービスを臆面もなく宣伝している。

 個人でさえもそうであることは、ツイッターを開いてプロフィールをざっと見すれば、ウンザリするほど実感できる。

 そんな広告や自己アピールで埋め尽くされた現代社会全体に比べれば、自分の店の店頭に自分の書いた本を置くなど、実に原始的でささやかなものに見えてくる。

 
 だが、やはり――

 普通なら我々が直感的に思うように、そんな行為は本当は「卑しい」のが「正しい」のかもしれない。

 かつて江戸時代では「士>農>工>商」とされ、商人は最も卑しい身分とされた(と言われている)。

 これは日本に限った話ではなく、全世界的な通例だった。

(古代中国の『史記』などを読めば、いかに商人が卑賤視・危険視されていたかがわかる。

 しかもそういうことを、おそらくは当代最高レベルの知識人・経世家らが一貫して主張している。)


 その理由としては、「オマエらは何も生産しないで、ただモノを右から左に動かすだけでカネを儲けてるんだろう」ということが挙げられる。

 むろん現代では、商人は卑賤視されるどころか、国民の意識の中で最高の地位を占めている。 

ビジネスパーソン=ホワイトカラー=商業従事者は、工業労働者より、農業者より、そしておそらく自衛隊員より、なりたがっている人が多い。)

 「商人は何も生産しない」も的外れで、現代商人の生み出すサービスは現に巨万の富を生み出している。

 もう「商人」と「生産者」を分けること自体、時代錯誤な時代である。

 しかしそれでも商人が卑しまれるとしたら、その現代的理由とは――

 まさにこの、“臆面もなく自分のことを宣伝する”という一点ではないかと思う。

 

 あなたの勤める店に、その店の親会社のトップの書いた本が置いてある。 

 自分の所有・経営するホテルに、自分の書いた本を置く――

 これは通常、従業員にとっては恥ずかしいことであり、世間からはバカにされることでもある。

 しかし今回、その“常識”に大きな例外ができた。

 これが一過性の徒花なのか、それとも社会の常識のコペルニクス的転回の始まりなのか……

 そういう観点からも、今回のアパホテル事件は興味深い話題である。