プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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アパホテルvs中国(3) 人は皆ポジショントーカー――断固たる“繋がり”なき科学的態度ということ

 日本では、中国が本の撤去を迫ったのにアパホテルが毅然として拒否していることは、“神対応”と賞賛されている。

 しかしここで、第二に思うことがある。それは――


(2)もしアパホテル本の内容が正反対のものだったら、そんな反応に絶対ならなかったろう


 ということである。

 アパホテル本は、南京大虐殺を事実でないとしている。これが正反対の内容だったら――南京大虐殺を事実起こったとする本だったら、日本のネットユーザーらはどんな反応をしたろうか?

 これは、あまりにもわかりきっている問いに思える。

 アパホテル本の著者・元谷氏は、何もこれが初めての著書というわけではなく、これまでも同系統の本を何冊も出している。

 “元谷外志雄”をウィキペディアで見るとすぐわかるが、バリバリに先鋭的な保守財界人である。(その中でもトップクラスかもしれない。)

 しかし逆に、バリバリの左翼がホテルチェーンのオーナーである――

 その人が「日本はこんなに悪いことをした、だからよくよく反省しなければならない」という内容の本を、自分のホテルの全客室に置く可能性だってあるわけだ。

 そのとき日本のネットユーザーがどんな反応を示すものか、まさかあなたは「わからない」と言うわけではないだろう。


 アパホテルの中国(外圧)に屈しない姿勢は、賞賛されている。

 そしてまた、「これが言論の自由だ、圧力に屈しないのは言論の自由を守る立派なことだ」ともされている。

 しかし本の内容が逆だったら、そういうことをネットに書いているのと全く同じ人が、全く逆のことを書き込むことは火を見るよりも明らかではないか?

(たぶん最も穏健な人でも、「確かにこれは言論の自由の一種だ。しかし――」という書き方をするだろう。)


 結局、人は誰でもポジショントーカーなのである。

 自分の意見と同じことを言っている/やっているなら賞賛し応援もするし正義だともするが、反対の意見・行動にはもちろんそんなことはしない。

 中国政府も日本のネットユーザーも、引いては全人類が一人残らずポジショントークをやっている。

 実に不毛な光景と言えば光景なのだが、これを終わらせるには、断固たる科学的立場に立つしか手段はないだろう。

 断固たる科学的な立場とは、「南京大虐殺があろうがなかろうが、今の中国人と日本人には何の関係もない」と達観することである。

(⇒ 2017年1月25日記事:アパホテルvs中国(1) 情報鎖国「中国共産党王朝」の残り寿命、及び「アノニマスは中国を攻撃しないのか?」)


 南京大虐殺があったとしても、今の日本人が謝罪する理由はない。(だって、自分がやったのではないのだから。)

 南京大虐殺がなかったとしても、今の日本人が「ほら見ろ、やってなかっただろ」と中国人に対し心理的優位に立つ理由もない。(だって、自分には関係ないことではないか。)

 もちろんこれは、超人的なほどの精神力を要する、仙人の境地かもしれない。

 そもそも「南京大虐殺の真偽の公正・中立な研究をしたいんだ」という動機自体、「日本の冤罪を晴らしたい」とか「日本の罪を確証したい」という前段階の動機があってこそ生じるものだろうからだ。

 だがそれでも、日本人も中国人も――

 南京大虐殺の真偽というものは、「チンギス・ハンの墓はどこにあるのか」という課題に取り組むのと同じように、“無色中立だが熱心な探究心”をもって行わなければならないと思う。

 いくら難しくても、それが「科学的立場をとる者の厳しさ」というものだろう。

 そしてもし今の中国政府が、「南京大虐殺がなかったとわかれば自国民を押さえられない・まとめられない」などと思っているとすれば――

 むろんそんな政府は倒れて当然・倒れるべき代物である。  

 私もあなたも純粋に真実を知りたいと思っているはずだが、それを邪魔する人間も国も宗教も、全て滅んでもらおうではないか。

 これは個人の(誰でも持っているはずの、人には絶対知られたくない)プライバシーの秘密を暴くこととは違うのだ。


 南京大虐殺がなかったと判明すれば困る・倒れる・ダメージを受ける」国とは、「天動説が間違いだと判明すれば困る・倒れる・ダメージを受ける」国と全く同じ――

 天文研究もさせないし天体の運行について異論を立てるのも許さない国なんて、死すべき有害国家だと判定されても仕方あるまい。

(そしてまた、いつか必ず滅ぶ国でもある。)