プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「専門家コメント」と「スゴい人エラい人」権威主義の日本

 安倍元首相の射殺事件の犯人について、「なんちゃって専門家」の「思いつき精神分析」が危惧されている、というネット記事があった。

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 もちろん何か凶悪事件のニュースがあれば、「にわか犯罪心理分析官」「素人コメンテーター」が湧いて出るのは、今に始まった話ではない。

 テレビに出ている人だけでなく、市井の一般人にもそういう人はワラワラと湧くものだ。

 思うに、今回の事件で専門家の話を聞くとすれば(それをテレビで流すとすれば)、まず誰よりも「暗殺研究家」「暗殺学者」に出演を求めるべきだろう。

 しかしそういう人は日本に数えるほどしか、あるいは一人もいないかもしれないので、他の誰かの話を流すのはやむを得ないことかもしれない。

 そしてこの「なんちゃって専門家・識者」の「思いつき精神分析」が垂れ流されるというのは、何もメディアの側のせいばかりでもない。

 なぜならそんなことをメディアがするのは、視聴者と大衆がそれを聞きたがっているからだ。

 視聴者と大衆は、専門家の意見を求めている。コメントを聞きたがっている。

 それがなければ怒り出しさえするだろう。


 思うに、この需要を支えているのは、

「世の中にはスゴい人・エラい人がいる。

 その人たちを尊重すべきだ、もてはやすべきだ、

 そうしないのは人の道を外れている」

 と言わんばかりの大衆的権威主義である。

 権威主義の別名(一種?)として「事大主義」というのがあるが、これは「大きいものに事(つか)える主義」、すなわち上の者・強い者には従う「べきだ」という意味である。

 そう、「べきだ」ということは、それが正しかるべき道徳になっていることを示す。

 事大主義と言えば、昔の朝鮮の中国に対する態度として有名だが――

 それが今この現代日本で、再び道徳として大衆の間に浸透している……と見るのは見間違えだろうか。

 この大衆的権威主義・事大主義のうち最も象徴的なのが、言うまでもなく「東大(東京大学)」だろう。

 いまやもう、どのニュースサイトを見ても「東大生」「東大卒」の肩書が付かない事象はない、と言っても過言ではない。

 あなたもきっと、そう感じているはずである。

 いったいネットを毎日少しでも見ていれば、「東大生」「東大卒」の文字が目に入らないなんてことはない。

 かつての学歴無用論はどこへやら、それどころか今の日本で東大は、一人勝ち・勝者総取り的な大権威として大衆の中に君臨することになった。

 しかしこれは東大の陰謀などではなく、大衆が勝手に権威に推戴しているだけではないだろうか。


 そしてもっと一般的な存在で言えば、「インフルエンサー」というのもそうである。

 インフルエンサーとは影響を与える人のことであるが、それはもちろん、彼や彼女にカンタンに影響を受ける人がゴマンといることを意味している。

 これが「スゴい人・エラい人」を「もてはやすべきだ」とする大衆的権威主義・事大主義に支えられていないなんて、考えられないことではないか。


 現代日本では、人がスゴいと賞賛する人を賞賛すること、人がエラいと持ち上げる人をヨイショすること――

 つまりは「人に影響を受けることこそ、正しい人の道」とする道徳が一般化した。

 スゴいとされる人、エラいとされる人、テレビに出ている人(は、自動的にエラいと見なされるようだ)……

 そういう人の意見を聞かねば納得できないのが、今の大衆なのである。

 それだから弁護士とか大学教授とか、とにかくスゴくてエラけりゃ、思いつきでもウケ狙いでもとにかく何か話してくれればいいのだ。

 繰り返しになるがテレビがそんなことをするのは、大衆が欲すればこそである。